バイク選びと自己責任と | ハンサムブログ

アプリリアRS125というバイクに乗っている。

このバイクでは数々のトラブルを経験してきた。

そのなかには命にかかわるような重篤なものもあり、今でもこのバイクに跨る時には全く気が抜けない。

 

そもそもなぜこのバイクをチョイスしたのかだが、それを列挙するとこうだ。

・何が何でも刺激的な2ST

・かといって旧車は嫌

・公道にいおいてもエンジンをきっちり使える小排気量

・フレーム足回が現代的

・美しいスタイル

・とびきり乗りにくいという噂を間に受け、それに挑戦して乗りこなしたいという気持ち

 

などである。

2STであるからには燃費、オイル消費、エンジン寿命の短さなどはハナから覚悟のうえである。

 

結婚相手になぞらえれば、平和で安定した家庭など到底望み得ない、エキセントリックな相手をチョイスしたことになる。

 

ではこのバイクにおけるトラブルの原因は何だったか。

 

・設計が甘い部分があり、起こるべくして起こったトラブル

・経年劣化

・メンテナンスサイクルへの甘い見積もり

・メンテナンス能力、知識の欠如

・セッティングの失敗

・不適切な運転操作によるダメージの蓄積

・そもそも値段につられて程度の悪い個体を選んでしまった

・プロフェッショナルなバイク屋に任せる事自体が面倒

 

などだ。

どの理由も完全に自己責任によるものだ。

設計に関してはメーカーの責任だが、信頼性で国産車に敵う事は無いことは最初から理解していたのであり、国産車を選ばずにこれを選んだ自分にこそ責任があるというわけだ。

 

それをわかったうえで乗っているのだから、どんなトラブルに逢ってもこのバイクを恨んだことは一度も無い。

ただ自分の能力の無さ、考えの甘さを責めただけだ。

そんな能力に欠ける自分が安定したバイクライフを求めるのなら、国産の堅実なバイクを選べば良かっただけのことだ。

 

それでもRSのエキセントリックな魅力に惹かれたのだから仕方が無い。

 

自分のチョイス、運転技術、維持メンテナンス能力を鑑みずに、やれ壊れた裏切られただの何だのと大騒ぎするような事例を実生活のなかでも耳にする機会が増えている。

そんな空気に辟易するのは、そこに自己責任という言葉が一切含まれていないからだ。

 

自身の家庭生活が現在幸せとは言いがたい状況にあるのも、それをチョイスした自分に100%の責任があると考えれば、相手を恨む事などひとつも無い。

ただ、頭には来ますけどね(笑

 

しかし、頭にくると恨むは全く別の感情です。