5年生という微妙な年頃となっても、未だ父親の視線も気にせずに、パンツ丸出しでテレビを見ながらゴロゴロと和む事に何の疑いも持たない娘を連れて、一泊のキャンプへ行ってきた。
妻は夜勤明けで仮眠を取った後に夕方から合流するという強行スケジュールだが、なかなか連続した休みを取りづらい職業柄、多少の無理を強いなければ娘に夏休みらしい行事を体験させる事が出来ないので仕方がない。息子はバイトだ。
日本が災害によって大きな転機を迎えて以来、何をやっても沈鬱にまとわりつく雲に光を遮られたような気分で、心の底から何かを楽しむ事が出来ない自分がいるが、
時にはこうして、自分を中心とした半径10メートル以内の幸福にのみ目を向けて楽しむ事も、人間性維持のためには必要だろう。
セシウム混入の疑いにはこの際と目を瞑り、地元産の牛豚海老烏賊各種野菜をこれでもかと買い込み、
ランタンの光の下、娘のたどたどしい包丁で下ごしらえして炭火で焼いた食事は文句なしの絶品だった。
ひとしきりはしゃいだ後、家族が寝静まったテントを出て、夜露を含んで柔らかくなった文庫本を読み、
それに飽きれば、わきを流れる清流の音にかき消されるのをいいことに、深夜遅くまでウクレレソロを弾くなどくつろいで過ごすと、何の脈略もなく、忘れかけていた性欲までをも体内にチクリと意識する始末で、これはつまり非人間的日常生活から解放されて、動物本来の本能までもが深くから掘り起こされたという事なのだろう。
かと言って、柄にもなく妻に挑みかかるでも、隣のテントの人妻に夜這いをかけるでもなく無事に夜は明け、林道を散歩したり清流に足を浸したり西瓜を食べたり蚋に足を食われたりなど、王道的キャンプの一日を堪能し、帰宅した。
来年の今頃は、私にパンモロ姿を見せる事などなくなっているのだろうななどと、疲れて眠る娘を見ながら感傷的な気持ちとなるが、今年の夏休みはまだ始まったばかりだ。
出来る限りの思い出を作ってあげたいと、ただ素直に思う。