小説 お題を3つ下さい #10 | ハンサムブログ
「ハレマウマウ火口に住むペレ」
「ポムの樹のLサイズオムライス」
「夏に涼やかな月下の酒宴」



それは想像を遥かに上回る大きさだった。
目の前にどかりと置かれたポムの樹のLサイズオムライス、その馬鹿馬鹿しいまでの大きさに、それが置かれた瞬間、テーブルが2~3センチの振幅で、バルルルルンと振動したように見えた。
まさか全国展開チェーン店のテーブルセットがそんな振動を許すほど脆弱であるはずはないが、俺にのしかかる精神的重圧がそんな錯覚を見させたのだろう。
ここのところの猛暑で冷たい水分をがぶがぶ摂り続けて疲れ切った俺の胃袋からは、抗議のげっぷが込みあがるが、これをなんとか飲み下す。

テーブルを挟んで差し向かう、そこに座するこの世の者とは思えないほど美しい女は、小首を傾げながら「私を愛しているなら食べられるはず。食べて見せて」と微笑む。普通に考えて、この美しい女と釣り合うなずもない俺はいつも、釣り合わない天秤に分銅を追加するかのように、こんな無茶ばかりを要求されるが、そのほとんどは初めから負けが約束された勝負ばかりである。分銅はいつも無残にも受け皿から転がり落ち、天秤は衝撃とともにがたんと傾く。
この不毛なる挑戦の後には、烈火の怒りが待っているのはいつもの事だ。

スプーンをざくっと大きく差し込み、一口目を食すが、まだその体積の1パーセント以下が減じたにすぎないのであろう。ゴールは遥か遠くに霞んでその姿は見えない。
オムライスの頂からでろりと垂れ堕ちるケチャップの赤は灼熱の溶岩を思わせ、卵が切り取られた既食断面の飯の赤は、焼け爛れた岩石が積み重なった火山の山体をストレートに連想させた。
その姿はさながら、遠く南の楽園ハワイ島のキラウエア火山だろうか。
そのハレマウマウ火口に住むペレの神話が、今自分が置かれた状況の必然として思いおこされた。
そう、火の女神ペレ。差し向かいで艶然と微笑むこの美しい女を女神に例えたら、ペレを置いて他などは考えられない。

曰く、
「あまりにも美しく、出会う全ての男を魅了してしまう」
「あまりにも身勝手で、思い通りにならないとすぐに火山の怒りを爆発させる」
「あまりにも負けず嫌いで、強い相手にもひるまず、弱い相手にも容赦しない」

ハワイにおける溶岩のでっぱりのそのほとんどは、ペレの怒りを買った男たちが溶岩で埋められてしまった跡なのだという話を聞いたことがある。
ハワイ島キラウエア火山のハレマウマウ火口に住むペレ、神話の時代、ハワイの男たちを恐怖のどん底に叩き込んだ火の女神である。

ペレに関する神話を紐解くと、ペレを怒らせた男が受けた仕打ちのあまりの酷さは、もはやお笑いと言ってもいいほどだ。
男たちが特別酷い事をしたわけではない。ペレに目をつけられた時点で、もう男たちは溶岩の出っ張りと化す運命が決まったようなものなのだ。
代表例として次のような話がある。
草ソリすべりを楽しんでいた2人の男たちの楽しげな姿を見て、いてもたってもいられなくなったペレはソリ遊びに参加。そのあまりのムキになりっぷりで地震洪水噴火が起きて村は壊滅。恐れをなして海に逃げた男たちめがけて、逃げるなと溶岩流を浴びせて彼らを埋設。この不幸なるでっぱりが「ペレの丘」って、いくらなんでもあなたそれは…。
この他にも数々の逸話があるが、まあだいたいこれと似通ったアウトラインである。
俺がこの先ハワイを訪れる事があるとしたら、全ての溶岩のでっぱりに黙祷を奉げる事に、旅行時間のほとんどを費やすかもしれない。

美しく奔放といえば聞こえが良いが、ペレの性格を現代の精神医学で診断させたら、どんな診断名を頂戴することだろう。
馬鹿な男がエキセントリックな女に惹かれて大やけどを負うのは、神話の時代から今に至るまで、国に関係なく同じらしい。

艶然と微笑む美しい女神と、冷や汗を流しながら巨大な火山を食い続ける俺たちのテーブルは、やはり只ならぬ雰囲気を周囲に発散しているようで、いつしか、向こう三軒両隣のテーブルは、俺たちテーブルにおける事の成り行きを固唾を呑んで見守り、会話もそぞろというような状況となっていたようだ。
火山を切り崩すスプーンの往復スピードが落ちてきたことに、みなハラハラしている様子が皮膚から伝わってくる。
ガンバレ、頑張れとの無言のエールは俺の胃袋をほんの少しばかり拡張させてはくれるが、そんな微拡張の積み重ねも、そろそろ限界が近いようだ。
上目で女神を見つめる。微笑んではいるが、目や耳や鼻からは、煙がもれ始めている。
「私を、愛していないということ?」

そう発した瞬間、向こう三軒両隣のテーブルがビクンと一斉に固まり、会話が途絶える。
半径4メートルを支配する沈黙の中、存在感がない事だけが価値であるかのようなイージーリスニングミュージックが、突然の表舞台に立たされて、ふにゃふにゃと戸惑っている。

どうにも飲み込めない岩石で頬をいっぱいに膨らませたまま上目で女神を見つめ、首をプルプルと横に振る。斜め向かいのカップルの男は、日本人丸出しの容姿でオーマイガッとばかりに頭を抱える。

「愛して、 いない、 のね」

女神ペレの顔中の穴という穴から火炎が噴き出す。
こちを無遠慮に凝視していたファミリー連れの3歳児が突如大無きして、半径4メートルの沈黙が破られた。

豊富なボキャブラリーを駆使した罵倒が一巡すると、もう二度と来られないであろうポムの樹を逃げるように後にして、気分直しの酒宴に座を移す事となった。

「月を見上げながら、オープンテラスでお酒を飲みたいの」との願いを叶えるのは、今夜は大きな困難が伴うであろう事が即座に予想できた。
女神が所望するのは、夏に涼やかな月下の酒宴を洒落込もうという事なのだろう。

テラスで酒を飲める場所は、数件知っていた。こみ上げる大量の飯粒を食道より下に留め続ける事は、日々女神に鍛え上げられた根性を頼りになんとかできよう。
しかしここ数日続いた記録的な猛暑は、昼の間に街のコンクリート構造物の全てにその熱をたっぷりと溜め込み、夜となった今は、溜め込んだ熱気をゆらゆらと放散し続けているし、そこかしこで稼動するエアコンの室外機は轟々と音を立てながら街に熱気を放ち続けている。
とある雑居ビル最上階のバーに急ぎ、従業員の「外は暑いですよ」という制止を無視してテラス席に座した。予想通り、笑ってしまうくらい猛烈に暑い。
四周を囲む熱を帯びたコンクリートからは大量の遠赤外線が放たれ、たちまち汗まみれとなる。
湿気を大量に含んだ夜の風を浴びた衣服と髪の毛はたちまち、霧吹きを吹かれたかのように重く湿り気を帯びる。
これもまた大きな熱源となる白熱電球のスポット光には無数の羽虫がまとわりつくように飛び交う。
汗で湿った女神と俺のくるぶしあたりや二の腕を、数匹の藪蚊が執拗に襲い続ける。
ヒステリックに藪蚊を払いのけるうちに、小洒落たカクテルはたちまち温くなり、女神の目鼻耳口からは、はしだいに煙がもれ始める。
着火の予感に俺は陶然となり、その瞬間を今か今かと待つ。

外気温と完全同化したカクテルに一匹の蛾が飛びこんだ瞬間、女神に火がついた。
俺は店内の客、従業員全員が目をむくほど激しい罵倒を浴びながら、脊椎を走る快感に酔いしれ急角度で上り詰める。火炎を吐きながら激しい罵倒を続ける女神の目も瞳孔が開ききり、もはやトランス状態と言えるほどにイってしまっている。

そう、これが俺たちの愛の形なのだ。
こうして無理を要求しそれに答えるべく無駄な努力を重ね、その結果を罵倒し罵倒され合う事で、お互いの存在と愛を全身に感じあう事が出来るのだ。

罵倒を一巡した後、女神がうつむきながら小さく「ありがと」とつぶやく。
万のツンと一のデレ。この黄金比が俺をまた狂わせる。
愛しくてたまらない。


神話の時代、溶岩のでっぱりと化した多くのハワイの男たちの運命を考えるに、ハレマウマウ火口に住むペレにもこんな、万に一つのデレ要素があったことを、俺は信じてやまない。