その7からの続き
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教師たちの編成は、我が校が息子の担任と不登校児童の担任が二人、教頭が一人、残りの7人は他校の教師たちだ。
この大編成で市内を捜索して、子供たちを捕獲するのだという。
これだけの大人数が動いたひとつの理由は、双子の父が激怒して学校にねじ込んできたことだそうだ。
子供が平日に何日も泊まっているにも係わらず、どこにも何の連絡を入れようともしないで彼らをかくまう不登校児童母に怒り、学校にどうにかしろとねじ込んだのだという。
もうひとつの理由は、後に担任から聞くことになる。
すると一人の教師が不登校児童母の職場に電話をかけ、双子の父が激怒している旨を伝えている。聞き耳を立てると、とにかく子供たちが帰ってきたら、各親御さんに連絡し、子供たちを返すようにと伝えている。
これで作戦が一気に間抜けじみてきた。
教師たちはこの不登校児童母の狡猾さをまったく理解していない。
この親が知らないうちに大編成で一気に追い詰め、市内で捕獲してしまってから親の前に突き出すか、子供たちが帰宅した瞬間に不登校児童宅に急襲をかけて袋のねずみにするか、この二択しかないだろうに、教師たちが動いているという情報をこの母に伝えてしまったらどうなるのか。
唖然とするも、私の危惧するところに耳を貸す様子もないので、仕方なしにこの間抜けた作戦に加わることとする。
そうこうするうちに日も暮れて、不登校児母が帰ってきて、担任二人とともに子供が帰ってきたら必ず連絡するようにとガンを飛ばしながらも丁重に頼み込む。
私は一旦帰るふりをして、不登校児童宅近くの街燈の光の死角の夜の闇に自転車とともに身を潜め、子供たちの帰宅の瞬間を押さえることにした。
教師たちはみな市内捜索に出かけた。
しかしである。もう不登校児童母には作戦は筒抜けているし、不登校児童は携帯電話を持っている。
この母、どう考えても、このまま子供たちが一網打尽になることを素直に受け入れるとは思えない。
21時を回ったころ、担任が経過報告に現れた。
市内で彼らを発見したが、やはり逃げられたのだという。
自転車での市街地のチェイスは想像以上の危険が伴うので、現実的には不可能である。
他校の教師たちは捜索を断念して解散したようだ。
私はまだここで待つという意思を伝え、担任はまた捜索へ出かけた。
自分たちが探されていると分った以上、おめおめとは帰ってこないだろうなと、この時点で諦めつつあったが、とにかく何か動きがあったらに備えて、夜の闇の中でじっと待つことにする。
深夜、0時をまわったころ、担任が車で現れた。
近くの駐車場に車を停め、車内で勧められたパンをかじりながら、今回動いたもう一つの理由を聞いた。
前の晩に中学校に学校荒らしが入ったのだそうだ。
教員のロッカーが荒らされ、タバコや化粧品など数点が盗まれ、ロッカーなどにいたずら書きがされていたのだそうだ。
それがおそらく彼らの仕業であろうということだ。
私は彼らのブログの所在を把握しており、確かに前日にはタバコと制汗スプレーなどの写真がアップされていたので、その旨を伝え、彼らであろうことを確認した。
刑事事件である本件をこのままにしておくわけにはいかないというのが、今回大規模に動いた理由なのだそうだ。
その後、息子のことや家庭のことなど、パンをかじりながら担任といろいろ話をした。
すると一台の自転車が目の前を通り過ぎた。
どうやら不登校児童のようだ。そのまま家に入っていった。
程なくして妻からの電話が私に入った。妻は激怒している。
話を聞くとこうだ。
「今、不登校児童母から電話があった。『私の子供は帰りました。お宅のお子さんは帰りましたか?』だって!何なの、この電話!」
危惧したとおりのことが起こってしまった。
不登校児童には母からメールなりの連絡が行ったのであろう。
息子たちと別れさせて、つまり本件の責任を放棄して一人で帰らせたのだ。
とにかく私の息子は帰りました。ほかの子たちのことは勝手にやってくださいとのことなのだ。
もっと言えば、今まで私の家に子供たちが泊まっていた証拠だってないでしょ?という事になる。
教師にその旨を伝える。
これで本当に、息子たちは行方不明になってしまったわけである。
作戦の不備を攻めたところで仕方がない。不備を主張しきれなかった私にだって責任はあるのだ。
とにかく捜索チームを解散し、帰宅することとなった。
翌朝、事態は急展開することとなる。
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その9へ続きます。