嘘や秘密を単純に悪と決め付けてはいないだろうか。
私たち夫婦には何も秘密がなくてとっても仲がいいんです、などと豪語する方がいるが、これは私たちは大嘘つきですと自ら宣言しているようなものだ。
例を示そう。考えて見て欲しい。
長年連れ添い老いた配偶者よりも若き肉体を持ち容姿端麗、知性も教養もユーモアも具え人格も満点。
極端な例だが、こんな人間が現れて、そちらに強く惹かれない人間が果たして存在するだろうか。
もしいたとしたらそれは廃人だから、ここでは例から省いて欲しい。
「かあさん、俺はやっぱりあの人に惹かれてしまったからお前には興味がなくなってしまったよ。ああ、あのひととお付き合いしたいなあ、なんとかしてやってみたいなあ」
「そうですかあなた、それじゃしかたありませんね。がんばって口説いてね。わたしにも今気になる人がいるんですよ。あ、ところで今日のご飯はどうしますか?」
秘密が全く無くてなおかつ仲がいいというのはこう言う事だ。絶対にありえない。
心の声を全て口に出すというのが秘密がないというこだとしたら、秘密や嘘を排除した人間関係は、確実に殺し合いに発展するだろう。
もしも本当に秘密が無くても仲良く暮らしていられるのだとしたら、これはもはや相手を人間として認めていないと言う他無く、究極の仮面夫婦ということになる。
本当に仲が良い夫婦というのは、お互いが思いやりをもって、上手に嘘を付き合ってる夫婦なのだろう。
お互いが秘密を持って不可侵領域を犯さずに寄り添う。これ以上を望んではいけないのだと思う。
表面に現された対外用に準備された人格だけが、人と人とを繋ぐ接点で充分なのだ。
どんな立体でも、三次元空間においてはこちら側から見えない裏が存在して成り立っている。
結論を言えば、パソコンのフォルダや携帯やブログを覗いて、これがあなたの正体なのねなどとは決して言ってはいけないということです。