清水一家に一人の老爺が、次郎長親分に勝負を挑みに来た。しかし、1回勝負で全財産失う。それならば私の命を掛けますというので、次郎長は事情を聞いた。
老爺は今でこそは行商で生計を立ててはいるが、その昔は役者だった。人気が出てきて、師匠の御嬢さんと恋仲に。師匠は人気の出てきた老爺に諫言。天狗になっていた老爺は、お嬢さんを連れ浪速の土地に。浪速に移ったが眼が出ずに妻につらく当たる日々。ある日、妻に手をあげようとしたら、おなかの子供だけには手をあげないでと言われ改心する。ところが江戸から娘を取り戻しに来られ生木を裂くように離別した。生き別れた息子が清水港で興行。江戸で襲名披露するので、幟いや、せめて座布団の一枚でもと勝負を望んだ次第と話す。意気に感じた次郎長は、老爺を網元にして、贔屓として料亭に呼び出すことにする。
宴席で老爺の息子駒十郎がひとさし舞う。それを見た老爺は「猿まねではいかん。あそこにある月と、池の川面に移った月では違う。波風立てれば月はなくなるんじゃ。」「母上と同じことをおっしゃるんですね。」別れ際、恩を忘れないために駒十郎は羽織を所望。それを肩にかけてやった。次郎長は「網元は落としが落としだから最後になるかもしれん。一刺し船弁慶でも舞いながら帰ってはもらえぬか。」船弁慶の一節を謳う駒十郎。進めらえた老爺も謳う。「父上」次郎長に制止され退場する。「父上が生きておられたとは。」
しんどいんで劇団澤村のをコピペ。この芝居、鹿島順一劇団でもやっているが劇団澤村の方が近い。こっちの方がオリジナルなのかもしれん。浪花劇団は鹿島劇団に似ている。芝居の入手を色々考えると面白い。老爺は一流の役者になった息子に親子名乗りは出来ない。でも、たとえ扇子の一本でも渡してやりたいと一世一代の勝負をする。負けてはしまうが、そこは稀代の次郎長親分。事情を聞き興行主として、興行を打ってやる。父から息子へのせめてものはなむけ。逢うおは最後になるのか、母親が気づくのか。観客の想像力に働きかけている。芝居の評価はクリーンヒットやれる。
今日は電池切れで3部の舞踊ショーは写真無し。前と比べ外題がガラッと変わった。芝居は間違いなく増えている。よく勉強してるんやろう。若手の成長も大きい。子供やったのが大人になって、いっぱしの役者になって来た。だから芝居も増えるんや。しかも今は子役も居る。バランスが整ってきた。立ちから老け役までできる姉二人の存在も大きい。きちっとした芝居を土日に持ってきている。こういったところも好感持てる。はずれの少ない劇団やろう。
ほんじゃ