

ひさしぶりの更新です★
弘前の花見に行く予定だった両親が愛媛に来ました。
息子の成長記録フォトブックを贈ったからかな(笑)
というわけで
5月6日から3泊4日で道後温泉に。。
1泊目 今治タオル美術館
2泊目 厳島神社・原爆ドーム
3泊目 別子銅山・砥部どうぶつえん・砥部焼館
最終日は、松山城・坂の上の雲ミュージアム
この旅行記もフォトブックにして贈らないとね♪
私は12歳の頃から子供が生まれるまでずっと両親に反抗して過ごしてきたので
まさかこんな風にほのぼの旅行をするなんて、つい先日まで考えられませんでした。
そういう意味でも「出産」って私にとって必然の経験だったのかと思います。
振り返って考えてみると、親への反抗というよりも“意地”の方が大きかったかな。
よく親子喧嘩で“自分でできるもんなら自分でやってみなさい”という様な言葉が出てくるかと思います。
私は12歳の時に“学費以外のことは自分でやる”と心に決めてしまったのです。
もちろん親に甘える部分も多々ありましたが
中学生の頃から洗濯物、アイロンがけ、弁当作りなどは自分で絶対やったし
高校が決まればすぐにアルバイトをしてお小遣い稼ぎ。
ポケベル買いましたね、この時。
高校の平日は
早朝アルバイト→バスケ部だったので朝練→授業→バスケ練習→帰宅
休日は
早朝アルバイト→バスケ練習→仲間とマックでダラダラ→アルバイト
まるで苦学生のよう(笑)
これに彼氏との交際もプラスされるからスゴイ体力だったよ。
お嬢様学校なんて言われることもある学校に通ってたのにね。笑っちゃう。
もちろんアルバイトは禁止、確か男女交際も禁止みたいなことが書いてあったような・・。
こんな風に意地を張ってました。
だから彼氏が「今日は夕飯要らないから」って親に電話している姿に引いて別れたり・・。
大学時代も同様。
大学に入ると家でご飯を食べるなんて週に1度あるかないか。。
洗濯、お風呂、就寝のために家にいました。
社会人になっても同様。
家を出ようと思ったけど両親の必死の説得があり中止。
(もうこの時は主人と結婚しようと思ってたからお金ためる方向にシフト)
システム相手の仕事をしていたので不規則な生活に突入。
2回/月 ご飯を家で食べるくらいだった。
3連休があれば沖縄で学生生活を送っていた主人の元へ行く始末。
そして結婚へ。
もちろん両親は反対してたけど、ここで主人が踏ん張ってくれて、私と両親の会話が増えました。
結婚から4年経ちようやく授かった子供。
この子供の出産を愛媛で一人で乗り切ると意地を張っていた私と母が喧嘩をしている最中、突然父が「やれるもんならやってみろ」と半分怒鳴り気味に言い放ちビックリ。
その日から頭の中を「やれるもんならやってみろ」がグルグル回り、結局子供のためと思い里帰りを決意。結果、自分のためになったんだけどね。
実際に子供を手にして、その子供を手に取る両親を見て、長い間張っていた意地がへにゃんとなりピタッと反抗期が終わりました。
今思うと、子供が自分と重なったのかもしれません。
それまで親への甘え方なんてこれっぽっちもわからなかったけど少しずつ甘えられるように成長しました。
って何の日記!!
超なが~い日記。どうでもいい日記。
読んでくれた方、貴重なお時間を割いていただきありがとうございました。
親子関係って難しいケド、絆は強いもんだね。