物理的に完全なる密室での殺人としては世界初とも言われる作品。扉を破ったとき、閂とともに内側から施錠されていた部屋。窓も閉ざされ、人が出入りすることができなかった部屋には死体しかなく、誰も隠れていない。凶器は見当たらず、死体の状態も他殺を示している。[???]

ドラブダンプ夫人:下宿屋の女主人
アーサー・コンスタント:下宿人, 労働運動指導者
トム・モートレイク:同, 同
ルーシー・ブレント:アーサーの婚約者
ジェシー・ダイモンド:トムの恋人
ジョージ・グロドマン:元刑事
ジェイン:グロドマンの女中
エドワード・ウィンプ:ロンドン警視庁捜査課刑事
キティー:ウィンプの女中
デンジル・キャンタコット:詩人
ピーター・クラウル:靴修理屋
クラウル夫人:ピーターの妻
リチャード・エルトン:サマートンの教区牧師, コンスタントの親友
チャールズ・ブラウン=ハーランド卿:勅選弁護士
ロバート・スピゴット:同
クローギー:裁判長
ハウレット:警部
ラニミード:巡査部長



いつまで経っても起きて来ない下宿人を心配し、下宿屋の主人は近所の元刑事を連れて来た。下宿人は呼びかけにもまったく応えなかったので、ついに扉を破ることにした。

部屋の中では下宿人がベッドの上で、首を掻っ切られて死んでいた。扉が破られたとき、鍵は内側から差し込まれていた。押し上げ式の閂も掛かっていた。部屋の窓もしっかりと閉ざされていた。室内には誰も隠れていなかった。

しかし凶器は見当たらず、死体の状態は他殺を示していた。


※以下反転表示部のネタバレ注意。



不可思議な謎が推理によって解明される物語は古代よりあったが、現代の推理小説のフォーマットを確立させたのは、一般的にはエドガー・アラン・ポオであると言われる。彼の作品には推理を用いたものは多いが、推理小説として認められるのはせいぜい5作。しかしそのたった5作で、「密室」「意外な犯人」「論理的分析」「盲点」「暗号」etc.、後の推理小説の定番パターンの多くを提示しているのみならず、オーギュスト・デュパンという探偵役のキャラクターをもその基本パターンの一つにしてしまった。

その彼の作「モルグ街の殺人」での密室は、密室としてはまったく不完全であり、そして読者にとってはアンフェアであることは否定できないが、そのマイルストーンとしての価値は揺らぐことはない。世界で初めて密室を扱った推理小説と称するに相応しいものだろう。

それに対して本作は、世界で初めて物理的トリックではない、心理的トリックによる密室を扱ったと言われる作品。「モルグ街~」ではその部屋に物理的な仕掛けがあったが、本作ではその代わりに心理的な盲点を突いている。(現代においてはすでに使い古されたトリックなので、ほとんどの読者はすぐに気づいてしまうかもしれないが) その点において、これもまた「モルグ街~」と同様に、推理小説の重要な道標としての価値を持つ作品であろう。

ただし現代の基準で、単なる一作品として読んでみると、とても褒められたものではないというのが僕の感想。


本作の筋書きは、最後に容疑者の恋人が見つかり、その証言によって、検察が築き上げた容疑者の動機が崩れ、無実となるというのがポイント。容疑者の恋人と被害者が接近し、なんだかんだあって恋人が失踪し、そしてあるいは自殺してしまったことへの復讐というのが検察側が推測した殺人の動機。その恋人が見つからぬため、容疑者(被告)はそれを否定できずに死刑を待つ身となっている。動機があるから有罪、動機が見当たらないから無罪なんて、つまらないというかどうでもいい。そんなことよりも、重要なのは密室の謎だw

ところがこの作者、筆を割くのはその動機についてばかり(しかも実際にはまったく的外れ)で、密室の謎については終盤に辿り着くまではほとんど置き去りにされたまま。被告の死刑が宣告される裁判において、そしてそれが覆される解決編になっていきなりその解決が示され、そこに辿り着くまでの過程がまったくない。

作者は推理小説について、「物語の主要部分でデータは全部出しておかなければならない」と、フェアプレイ精神が重要と表明しており、本作でもそれは感じられるが、読者が事件を解決するには無駄なデータばかり提示していると思える。その大半はレッドヘリングでしかない。個人的には、完全に的外れな動機を追いかけるだけの中盤はほとんど必要ない。重要なのは読者投稿の部分だけだろう。100ページ未満の短編で充分。

まあ、良くも悪くも古典的。



[1] ボウ地区の下宿屋。その2階には独立した2部屋があり、その2部屋を労働運動指導者アーサー・コンスタントが借りていた。その日、コンスタントは集会で演説する予定があるため、朝食は7時に、いつもよりも早く起こして欲しいと、下宿の主人のドラブダンプ夫人に頼んでいた。しかしいつも朝6時には目を覚ます彼女が、その日はに限って30分ほど寝坊した。慌てて2階のコンスタントの寝室の扉を叩いて、彼に大声で呼びかけ、階下に戻って朝食の用意を始めた。ところがいつまで経っても彼は下りて来ない。ドラブダンプ夫人は、彼が歯の痛みを訴えていたのを思い出し、歯痛でなかなか寝付けなかったのだろうと考えた。8時になった。何度も扉を叩いた。コンスタントは起きて来なかった。8時半になり、彼女の不安は限界を超えた。近所に住む元刑事ジョージ・グロドマンを連れて来た。彼女の依頼で、グロドマンはコンスタントの寝室の扉を体当りでぶち破った。グロドマンとドラブダンプ夫人は部屋に入った。コンスタントが喉が掻っ切られて死んでいたというニュースはすぐに広まった。
[2] モートレイクの紹介。彼はコンスタントの友人。コンスタントに下宿を紹介したのも彼。それまで使っていた2階の部屋を明け渡した。検死審問。モートレイク、ドラブダンプ夫人、詩人デンジル・キャンタコットらが証言。
[3] 検死審問。コンスタントの親友のリチャード・エルトンらの証言。ロンドン警視庁捜査課刑事エドワード・ウィンプの証言。「グロドマンが扉を壊し、寝室に入ってみると、コンスタントは喉を掻き切られて、ベッドの上で死んでいた。そばに凶器と思しき物は見当たらず、傷の状態などから、自殺の可能性は低い。グロドマンが死体発見直後に死体の状態をざっと調べたところ、まだ死体は温かく、死んでから時間はあまり経っていない様子だった。それから1時間後に死体を調べた専門医の推定もそれに一致し、コンスタントの死んだのは7時頃ではないかと推定される。もちろん正確な死亡時刻の割り出しは不可能なので、それよりも1~2時間前ということもあり得る。ウィンプ自身としては6時半頃と推定している。グロドマンが破ったとき、扉は内側から施錠され、さらに扉上部の押し上げ式閂も掛かっていた。窓も閉まっており、寝室は密室状態だった」
[4] 新聞には“ビッグ・ボウの怪事件”についての投書が殺到している。
[5] デンジルはクラウル夫妻の家に下宿している。ピーター・クラウルは彼が好きなので気にしないが、クラウル夫人はロクに下宿代も払わぬ彼を責め立てる。デンジルは下宿代の3ポンド少々を工面しようと、グロドマンを訪ねる。グロドマンのヒット作である自伝「わたしの捕えた犯罪者たち」は、デンジルがゴーストライターとして書いたもの。グロドマンは素っ気ないが、とりあえず手元にあった1ポンドをデンジルに与えた。ないよりはマシとデンジルはありがたくそれを受け取り、家を出た途端、グロドマンの女中のジェインに新しいドレスをせがまれた。デンジルは貰ったばかりの1ポンドを彼女に渡して去って行った。
[6] デンジル、モートレイクの恋人ジェシー・ダイモンドに関する情報をウィンプに売る。1ポンドを得る。部屋を出た途端、美しい女中に遭遇した。新しい帽子をせがまれデンジルは、貰ったばかりの1ポンドを彼女に渡して去って行った。
[7] グロドマン、ウィンプの家に招かれる。彼らはお互いにまったく反りが合わず、お互いがそれを理解していることも知っているのだが、表向きは親密そうに振る舞っている。彼らは事件について、お互いが持っている情報を探り出そうとしている。話の中でデンジルについて触れた結果、グロドマンはどうやってウィンプの女中に近づこうかと考え、ウィンプはどうやってグロドマンの女中に近づこうかと考えていた。雨の中、ドラブダンプ夫人がコンスタントの墓前に立っている。
[8] コンスタントが住んでいた部屋に新たな下宿人が入った。その白髪混じりの長い顎髭を生やした老紳士は、モートレイクが留守のときにはしょっちゅう彼の部屋に入り込んでいた。コンスタント追悼の集会。壇上にモートレイクが登場したとき、ウィンプは叫んだ。「モートレイク! コンスタント殺害容疑で逮捕する!」
[9] 会場は大混乱。ウィンプの思惑とは違い、人々はモートレイクに味方し、ウィンプには罵声が浴びせられた。混乱の中、モートレイクはまんまと脱出に成功し、その足で警察署に出頭した。
[10] 裁判。ウィンプの説明。「モートレイクの部屋のソファからコンスタントの寝室の鍵と同じものが見つかった。モートレイクはその部屋に住んでいたとき、鍵をなくしたふりをして隠し持っていた。コンスタントが死んだとき、扉の鍵は外から掛かっていた。偽装のため、扉の内側のそばにもう一つの鍵を落としておくか、内側の鍵穴に軽く引っ掛けておいた。押し上げ式の閂は、閂が差し込まれた状態の受け口を予めもぎ取っておいた。そうしておけば扉を破った際に破損したのか、予め壊れていたのか判別できない」 グロドマンは扉を破る前に揺すった際に閂の手応えがあったし、部屋に入ってから鍵穴も見たが鍵はしっかりと差し込まれていたと主張し、ウィンプの推理を否定したが、それは断定できるものではなく、ウィンプが優勢だった。モートレイクには死刑が宣告された。
[11] グロドマン、モートレイクの死刑の反対運動に没頭。モートレイクの無罪の鍵となる、彼の恋人ジェシー・ダイモンドの行方を捜している。グロドマン、重要な情報を手に、内務大臣との面会に成功する。
[12] ジェシーの行方が突き止められる。ウィンプの築いた砂上の楼閣が崩れ去る。