ギディオン・フェル博士シリーズの長編第2作。ロンドンでは帽子を盗み、それを晒しものにするという事件が街の話題となっていた。そんな頃、胸に矢が刺さった死体がロンドン塔で見つかる。被害者は帽子盗難事件の犯人を“帽子収集狂”と命名し、それを報じていた新聞記者ドリスコルという人物だったが、死体となった彼は服装に合わぬ帽子を被っていた。それは“帽子収集狂”によってドリスコルの叔父ビットン卿から盗まれた帽子だった。ビットン卿は帽子盗難だけでなく、貴重な稿本の盗難事件の被害者でもあった。[???]
ウィリアム・ビットン卿:隠退した保守党政治家
レスター・ビットン少佐:ウィリアム卿の弟, 実業家
ローラ・ビットン:レスターの妻
シェーラ・ビットン:ウィリアム卿の娘
フィリップ・ドリスコル:ウィリアム卿の甥, 新聞記者
メースン将軍:ロンドン塔副長官
ロバート・ダルライ:将軍の秘書, シェーラの婚約者
パーカー:将軍の従卒
ジューリアス・アーバー:アメリカの古書収集家
アマンダ・ジョージェット・ラーキン夫人:女探偵
セオフィラス・マークス:ビットン邸の執事
ホッブス:同
ワトスン:医師
ハドリー警部:ロンドン警視庁主任警部
ギディオン・フェル博士:老年の私立探偵
タッド・ランポール:博士の助手格のアメリカ人青年
ロンドンで奇妙な騒動が持ち上がっていた。社会的地位のある者の頭から帽子の類を盗んではそれを別の場所で晒しものにする、謎の人物が街を徘徊していたのだ。その怪人物は“帽子収集狂(マッド・ハッター)”と命名された。
その被害者の中の一人にウィリアム・ビットン卿がいた。しかし彼が抱えているもう一つの問題に比べれば、帽子盗難被害などは取るに足らぬ些細なことだった。彼の抱えた大きな問題とは、彼の宝である、エドガー・アラン・ポオの発掘原稿が自宅から消え失せたことだった。
ビットン卿は知り合いのハドリー警部に相談した。ハドリーはこういう奇妙な事件にピッタリな人物としてギディオン・フェル博士も同席させた。
ちょうどそのとき、ハドリー警部のもとに殺人事件の報が入った。場所は観光地ロンドン塔の逆賊の門。被害者は胸に矢を受け、なんとビットン卿の盗まれた帽子を被っていた。そしてその被害者の名はフィリップ・ドリスコル。彼はビットン卿の甥であり、“帽子収集狂”の命名者にして、その事件を追っていた新聞記者でもあった。
殺される直前のドリスコルは何か非常に困った問題を抱えていたらしく、友人のロバート・ダルライに相談に乗ってもらおうとしていた。そのため、午後1時にロンドン塔にある彼のオフィスを訪ねる約束をしていたのだが、ちょうど面会時刻の頃に、電話で予定変更を告げて来た。ダルライにドリスコルの自宅アパートまで来てほしいという。仕方なくダルライは車を修理工場に置いて来るついでにドリスコルの部屋を訪ねることにした。
ところがダルライがロンドン塔を出発してから15分ほどして、ドリスコルが塔のオフィスにやって来た。最初に電話を受けたパーカー本人に対し、そんな電話はしていないと言う。ともかくこれ以上すれ違いになるのはまっぴらと、ドリスコルはそこで待ち、ダルライに連絡するために数分置きに自宅に電話することにした。
ドリスコルはオフィスで待つ間、窓の外を眺めたりしていたが、ちょっと出て来ると言い、電話はパーカーに任せてオフィスを出た。その後、パーカーは窓の外に、タバコを吸うドリスコルの姿を見ている。彼は誰かと話していた様子だったが、霧が濃いため、その相手の正体はわからなかった。それが午後1時35分。生きているドリスコルが確認されたのはそれが最後だった。彼が殺されたのは、その1時35分から1時50分頃までの間と見られる。
ところでその頃のダルライはと言えば、ドリスコルの部屋で彼を待っていた。そこにパーカーから電話が来て、事情を聞いたのである。ダルライはやれやれとばかりに工場から車を引き取り、塔に戻ることにしたが、その途中でたまたま上司のメースン将軍に出会った。二人が車に同乗し、一緒に塔に到着したのが午後2時半。そして将軍がドリスコルの死体を発見したのだった。
死体が見つかり、ロンドン塔を訪れていた客は一時足止めされることになった。その中に、被害者と関係の深い者が一人混じっていた。ローラ・ビットン――ビットン卿の弟の妻である。
※以下すべて反転表示。ネタバレ注意。
カーの代表作の一つで、日本でのその知名度は特に高い。(狭い世界の中でだがw) その要因の一つは、江戸川乱歩がカーのベストの一つとして特に薦めていたことだろう。だが密室のような、設問自体はシンプルな謎を主眼に置いたものではなく、帽子盗難事件、稿本紛失事件、殺人事件の三つが絡み合って行くところに面白さがある本作は、カー初心者向きではないとも言われる。乱歩はカー作品の中にチェスタトン風味を見出しており、それが強いものを好む傾向があったようで、彼のお薦めは入門編としてはやや偏っていた。それがあるいは日本におけるカーの不遇(長編の邦訳文庫版は未だにすべては出揃っていない…はず)の一因とも。
殺人犯が用いるのはアリバイ・トリック。これは元々計画されたものではなく、突発的な犯行からのとっさのものだったが、偶然の出来事を利用して、それがさらに強固になる。成り済ましも用いているが、こちらはちょっとどうかな~、気付かれないものかな~、と。
レスターの死も、あまりにもあっさりしすぎてるんじゃないかな~、と。若いカップルには目が届くフェル博士は、若くないカップルには無頓着なのだろうかw
ともかく今回のラストはフェル博士だけじゃなく、ハドリー警部もすっかり人情派。
[1 弁護士の鬘をかぶった馬] ロンドンに妙な帽子泥棒が出没している。社会的地位のある者の頭に載った物を盗み、街の別の場所にそれを飾るという手口。
[2 稿本と殺人] ウィリアム・ビットン卿は二度に渡って帽子を盗まれた。古いものは既に執事マークスに下げ渡してしまったので、被る帽子がないと立腹。帽子盗難以前に、彼は貴重な稿本(ポオの原稿)も盗まれている。それは屋敷に置いていたときに盗まれた。客人のジューリアス・アーバーは古書収集家。マークスは新参者ながら、愚鈍で小心者なだけで、盗みを働くような人物ではないとビットン卿は判断した。ビットン卿の甥のフィリップ・ドリスコルは、例の帽子泥棒の記事も書く新聞記者。ただしそのセンスはないというのが大方の見方。
[3 逆賊門の屍体] 濃霧の中、ロンドン塔の逆賊門でドリスコルの死体が発見される。胸に刺さった金属の矢が背中まで貫いている。服装に合わぬ、ビットン卿のもとから盗まれたトップハットを被っている。ドリスコルは衛視とも顔見知りで、まだ生きている彼が塔に姿を見せたとき、彼は服装に見合った鳥打帽を被っていた。ビットン卿は観劇からの帰宅中、停車したときに窓の外から伸びた手によって帽子を盗まれていた。ビットン卿はドリスコルにギリギリの食い扶持しか与えなかったことを悔やむ。
[4 尋問] ロバート・ダルライの証言。「早朝、取り乱した様子のドリスコルが電話してきた。私に助けてもらいたいことがあり、昼の1時に塔に訪ねて来るという。ところが塔に出勤して記録室で仕事をしていたとき、またもやドリスコルから電話が掛かって来た。電話を受けたパーカーはすぐに私のところに回線を切り替えた。ドリスコルは自分のアパートに来てくれと、予定変更を言い出した。それで仕方なく、車を修理工場に置いて来るついでにそちらにも寄った。工場に車を預けると、そこからドリスコルの部屋まで歩いて行った。ドリスコルは留守だったが、鍵を持っているので、中で待った。パーカーの話によると、私がロンドン塔を出てすぐにドリスコルがやって来て、予定変更の電話などしていないと騒ぎ立てた」
[5 手すりによる影] ダルライの証言の続き。「ドリスコルの部屋で待っていると、パーカーから電話が掛かって来て、ドリスコルの言い分を伝え聞いた。そこで工場から車を引き取り、塔に戻る途中で上司のメースン将軍に出会ったので、彼とともに車で塔に戻った」 その後、将軍がドリスコルの死体を見つけた。ダルライもパーカーも、電話の声はドリスコルのものでまず間違いないと言う。塔にやって来たドリスコルは再び行き違いになることを恐れ、待つことにした。そこでダルライに繋がるまで何度も自宅に電話を掛けることにしたのだが、その途中でそれをパーカーに任せ、塔内の広場へ散歩に出て、それきり戻らなかった。
[6 遊覧記念の鋼の矢] ドリスコルの死体が被っていたトップハットは、ビットン卿のものにしては少々大きすぎる。ビットン卿が言うには、購入する際、帽子屋には確かに少々大きなサイズの帽子がもう一つあったが、屋敷に届いた帽子は実際に被ってみたのだから大きすぎるはずはないと言う。(帽子にはビットン卿のネーム入りなので、帽子屋の残りの在庫とは考えられない) ドリスコルの死体が発見され、塔内の足止めされた客の中にはビットン卿の弟レスターの妻ローラもいた。ドリスコルとは会わなかったし、来ていることも知らなかったという。凶器の矢は土産物で、ローラがフランス旅行で購入した物。
[7 ラーキン夫人の袖口] 矢は鑢で先端が尖らせてある。いかにも土産物という「遊覧記念」の文字も途中まで削られている。ワトスン医師の推定によるとドリスコルが死亡したのは午後1時50分前後数分の誤差。ドリスコルの所持品の中に手紙。「ロンドン塔へ1時半に。怪しまれたら、最後よ。メアリー」 メモ。「最適の場所? ロンドン塔? 帽子を追う トラファルガー 突き通せず 木 生垣か柵 調査」 塔内に足止めされた客の一人、ラーキン夫人はどうやら私立探偵。
[8 アーバー氏をとりまくもの] アーバーはビットン卿がポオの原稿を所持しているのをとっくに承知で、可能ならば買い取ろうと考えていた。ビットン卿は原稿を不法な手段で入手しており、その法的な所有権は既にアーバーにある。しかしアーバーは騒動を嫌う性格であり、強引な方法を用いれば原稿そのものを破棄される可能性もあるため、ビットン卿に対しては何も言っていない。探りを入れた感じでは、ビットン卿は絶対に原稿を誰にも譲るつもりはない様子。ビットン卿は原稿の所持すら秘密にしているつもりだが、秘密を守ってると思ってるのは当人のみ。周囲の者は大体のところは察している。死体の主がドリスコルと知らされたアーバーは、傍目にも明らかなほど、強いショックを受けた様子。晩餐で一度会っただけだという。アーバーは鳥打帽を被った男を見かけていたが、それがドリスコルだったとは気づいていない。1時35分に若い婦人とぶつかった。
[9 三つの示唆] もしドリスコルが原稿を盗み出し、アーバーにそれを買い取るように持ち掛けたならば、それは両者にとって都合がいい。ドリスコルは年中カネに困っていたし、法的所有権を持つアーバーはとにかく現物さえ入手してしまえば、ビットン卿ももうどうにもできないであろう。しかしフェル博士はそれを否定する。なぜなら決して臆病者ではないドリスコルが最も恐れていたのは、自身を援助してくれる叔父ビットン卿の寵愛を失うことだから。この取引で多少の金銭を得ることで、遺産配分まで失ってしまう愚は犯さないであろうという。フェル博士のヒント。「第一に、ドリスコルが死んだのは、パーカーが生きている彼を目撃した最後の時刻1時30分から医師による死亡推定時刻1時50分頃までの間と見られる。第二に、矢に書かれた文字をなぜ途中までしか消してないのか? 第三に、ビットン卿の帽子は、なぜ彼の頭にピッタリだったのか?」
[10 鏡に光る目] ドリスコルの部屋に女が侵入し、中は荒らされていた。部屋の中には部屋の主に似つかわしくない二つの石膏像(フィリップ2世とメアリ・テューダー)がある。女はローラで、ドリスコルはその浮気相手と見られる。アーバーは誰かに命を狙われていると感じている様子。ドリスコルの部屋にまた侵入者。その正体はレスターで、石膏像を叩き壊していた。
[11 小さな石膏人形] ハドリー警部、ローラの逮捕をちらつかせ、レスターに圧力を掛ける。
[12 X十九号について] レスター、警部のブラフに屈し、雇っていた探偵ラーキン夫人に証言させる。「ローラが塔に着いたのは1時10分。それから喫茶室に入り、そこから出て歩き出したのが1時20分。逆賊門のところでローラはドリスコルと会った。二人は会話していたが、ドリスコルは何やら用事を思い出し、5分以内に戻るからと、立ち去った。ローラも少し遅れて歩き出した。それが1時35分。結局ドリスコルは戻って来なかったが、ずっとラーキン夫人はローラを尾行していたので、ローラが犯人ではないと太鼓判」
[13 ビットン嬢のおしゃべり] ダルライはシェーラ・ビットンと婚約者だが、カネもなくポーカー好きの彼を、ビットン卿は娘の相手としては気に入っていない。ドリスコルはダルライの声を真似てシェーラにイタズラ電話したりすることもあった。ドリスコルは冗談で、もし死ぬならトップハットを被って死にたいと言ったことがある。
[14 シルクハットをかぶって死にたい] ビットン卿のトップハットのサイズが間違ってることに気づいたマークスは、何とかそれを誤魔化そうと、とっさに細長く畳まれた紙片を帽子の裏革に挟み込んでサイズ調整した。ところがその後、その紙片こそがポオの原稿であることに気づいた。しかしとても言い出せるようなことではなく、帽子が盗難に遭ってしまってはもうどうにもできなかった。
[15 ゴム鼠事件] 帽子泥棒はドリスコルだった。記者として手柄が欲しくて事件をでっち上げたのだ。ところが盗んだ帽子の中に叔父の大切な原稿を見つけ、窮地に陥った。返却すればドリスコルが犯人だとバレてしまう可能性が高い。そこで彼は頼りにしているダルライに相談を持ち掛けるとともに、自力での解決も試みた。すなわちビットン卿の車の中に、盗んだトップハットを押し込もうとした。しかし運悪くビットン卿に見つかりそうになってしまったので、とっさにそこにあった別の帽子を盗み出し、単なる帽子泥棒に見せかけようとした。矢はドリスコルが盗んだ帽子を街に飾るために使おうとしていたもの。文字はまだ消そうとしている途中だった。
[16 暖炉の中に] ドリスコルの部屋の暖炉から、一部燃えてしまった原稿が見つかった。レスターは拳銃自殺した。
[17 ビットン邸の死] レスターは片手に拳銃、もう一方にローラの写真を握って死んでいた。
[18 アーバー氏の聞いた声] アーバーはドリスコルらしき人物から電話で原稿の取引を持ち掛けられ、それを受け入れた。ところがその取引が成立する前に殺人事件に巻き込まれた。被害者がドリスコルであると知ったのもショックだったが、その後もう一つのショックを受けた。電話で聴いたドリスコルと思しき声を、彼の死後、また聴いたのだ。
[19 血塔の下でか?] ハドリー警部、事件についての推理を語る。
[20 殺人者の告白] フェル博士が沈黙を勧めたにも関わらず、殺人者は告白する。
[21 未解決] ドリスコルが死んだのは、月に一度、ビットン卿が来訪する日だった。今回、ビットン卿はそれを取り止めていたのだが、ドリスコルはそれを知らなかったために死んだ。
ウィリアム・ビットン卿:隠退した保守党政治家
レスター・ビットン少佐:ウィリアム卿の弟, 実業家
ローラ・ビットン:レスターの妻
シェーラ・ビットン:ウィリアム卿の娘
フィリップ・ドリスコル:ウィリアム卿の甥, 新聞記者
メースン将軍:ロンドン塔副長官
ロバート・ダルライ:将軍の秘書, シェーラの婚約者
パーカー:将軍の従卒
ジューリアス・アーバー:アメリカの古書収集家
アマンダ・ジョージェット・ラーキン夫人:女探偵
セオフィラス・マークス:ビットン邸の執事
ホッブス:同
ワトスン:医師
ハドリー警部:ロンドン警視庁主任警部
ギディオン・フェル博士:老年の私立探偵
タッド・ランポール:博士の助手格のアメリカ人青年
ロンドンで奇妙な騒動が持ち上がっていた。社会的地位のある者の頭から帽子の類を盗んではそれを別の場所で晒しものにする、謎の人物が街を徘徊していたのだ。その怪人物は“帽子収集狂(マッド・ハッター)”と命名された。
その被害者の中の一人にウィリアム・ビットン卿がいた。しかし彼が抱えているもう一つの問題に比べれば、帽子盗難被害などは取るに足らぬ些細なことだった。彼の抱えた大きな問題とは、彼の宝である、エドガー・アラン・ポオの発掘原稿が自宅から消え失せたことだった。
ビットン卿は知り合いのハドリー警部に相談した。ハドリーはこういう奇妙な事件にピッタリな人物としてギディオン・フェル博士も同席させた。
ちょうどそのとき、ハドリー警部のもとに殺人事件の報が入った。場所は観光地ロンドン塔の逆賊の門。被害者は胸に矢を受け、なんとビットン卿の盗まれた帽子を被っていた。そしてその被害者の名はフィリップ・ドリスコル。彼はビットン卿の甥であり、“帽子収集狂”の命名者にして、その事件を追っていた新聞記者でもあった。
殺される直前のドリスコルは何か非常に困った問題を抱えていたらしく、友人のロバート・ダルライに相談に乗ってもらおうとしていた。そのため、午後1時にロンドン塔にある彼のオフィスを訪ねる約束をしていたのだが、ちょうど面会時刻の頃に、電話で予定変更を告げて来た。ダルライにドリスコルの自宅アパートまで来てほしいという。仕方なくダルライは車を修理工場に置いて来るついでにドリスコルの部屋を訪ねることにした。
ところがダルライがロンドン塔を出発してから15分ほどして、ドリスコルが塔のオフィスにやって来た。最初に電話を受けたパーカー本人に対し、そんな電話はしていないと言う。ともかくこれ以上すれ違いになるのはまっぴらと、ドリスコルはそこで待ち、ダルライに連絡するために数分置きに自宅に電話することにした。
ドリスコルはオフィスで待つ間、窓の外を眺めたりしていたが、ちょっと出て来ると言い、電話はパーカーに任せてオフィスを出た。その後、パーカーは窓の外に、タバコを吸うドリスコルの姿を見ている。彼は誰かと話していた様子だったが、霧が濃いため、その相手の正体はわからなかった。それが午後1時35分。生きているドリスコルが確認されたのはそれが最後だった。彼が殺されたのは、その1時35分から1時50分頃までの間と見られる。
ところでその頃のダルライはと言えば、ドリスコルの部屋で彼を待っていた。そこにパーカーから電話が来て、事情を聞いたのである。ダルライはやれやれとばかりに工場から車を引き取り、塔に戻ることにしたが、その途中でたまたま上司のメースン将軍に出会った。二人が車に同乗し、一緒に塔に到着したのが午後2時半。そして将軍がドリスコルの死体を発見したのだった。
死体が見つかり、ロンドン塔を訪れていた客は一時足止めされることになった。その中に、被害者と関係の深い者が一人混じっていた。ローラ・ビットン――ビットン卿の弟の妻である。
※以下すべて反転表示。ネタバレ注意。
カーの代表作の一つで、日本でのその知名度は特に高い。(狭い世界の中でだがw) その要因の一つは、江戸川乱歩がカーのベストの一つとして特に薦めていたことだろう。だが密室のような、設問自体はシンプルな謎を主眼に置いたものではなく、帽子盗難事件、稿本紛失事件、殺人事件の三つが絡み合って行くところに面白さがある本作は、カー初心者向きではないとも言われる。乱歩はカー作品の中にチェスタトン風味を見出しており、それが強いものを好む傾向があったようで、彼のお薦めは入門編としてはやや偏っていた。それがあるいは日本におけるカーの不遇(長編の邦訳文庫版は未だにすべては出揃っていない…はず)の一因とも。
殺人犯が用いるのはアリバイ・トリック。これは元々計画されたものではなく、突発的な犯行からのとっさのものだったが、偶然の出来事を利用して、それがさらに強固になる。成り済ましも用いているが、こちらはちょっとどうかな~、気付かれないものかな~、と。
レスターの死も、あまりにもあっさりしすぎてるんじゃないかな~、と。若いカップルには目が届くフェル博士は、若くないカップルには無頓着なのだろうかw
ともかく今回のラストはフェル博士だけじゃなく、ハドリー警部もすっかり人情派。
[1 弁護士の鬘をかぶった馬] ロンドンに妙な帽子泥棒が出没している。社会的地位のある者の頭に載った物を盗み、街の別の場所にそれを飾るという手口。
[2 稿本と殺人] ウィリアム・ビットン卿は二度に渡って帽子を盗まれた。古いものは既に執事マークスに下げ渡してしまったので、被る帽子がないと立腹。帽子盗難以前に、彼は貴重な稿本(ポオの原稿)も盗まれている。それは屋敷に置いていたときに盗まれた。客人のジューリアス・アーバーは古書収集家。マークスは新参者ながら、愚鈍で小心者なだけで、盗みを働くような人物ではないとビットン卿は判断した。ビットン卿の甥のフィリップ・ドリスコルは、例の帽子泥棒の記事も書く新聞記者。ただしそのセンスはないというのが大方の見方。
[3 逆賊門の屍体] 濃霧の中、ロンドン塔の逆賊門でドリスコルの死体が発見される。胸に刺さった金属の矢が背中まで貫いている。服装に合わぬ、ビットン卿のもとから盗まれたトップハットを被っている。ドリスコルは衛視とも顔見知りで、まだ生きている彼が塔に姿を見せたとき、彼は服装に見合った鳥打帽を被っていた。ビットン卿は観劇からの帰宅中、停車したときに窓の外から伸びた手によって帽子を盗まれていた。ビットン卿はドリスコルにギリギリの食い扶持しか与えなかったことを悔やむ。
[4 尋問] ロバート・ダルライの証言。「早朝、取り乱した様子のドリスコルが電話してきた。私に助けてもらいたいことがあり、昼の1時に塔に訪ねて来るという。ところが塔に出勤して記録室で仕事をしていたとき、またもやドリスコルから電話が掛かって来た。電話を受けたパーカーはすぐに私のところに回線を切り替えた。ドリスコルは自分のアパートに来てくれと、予定変更を言い出した。それで仕方なく、車を修理工場に置いて来るついでにそちらにも寄った。工場に車を預けると、そこからドリスコルの部屋まで歩いて行った。ドリスコルは留守だったが、鍵を持っているので、中で待った。パーカーの話によると、私がロンドン塔を出てすぐにドリスコルがやって来て、予定変更の電話などしていないと騒ぎ立てた」
[5 手すりによる影] ダルライの証言の続き。「ドリスコルの部屋で待っていると、パーカーから電話が掛かって来て、ドリスコルの言い分を伝え聞いた。そこで工場から車を引き取り、塔に戻る途中で上司のメースン将軍に出会ったので、彼とともに車で塔に戻った」 その後、将軍がドリスコルの死体を見つけた。ダルライもパーカーも、電話の声はドリスコルのものでまず間違いないと言う。塔にやって来たドリスコルは再び行き違いになることを恐れ、待つことにした。そこでダルライに繋がるまで何度も自宅に電話を掛けることにしたのだが、その途中でそれをパーカーに任せ、塔内の広場へ散歩に出て、それきり戻らなかった。
[6 遊覧記念の鋼の矢] ドリスコルの死体が被っていたトップハットは、ビットン卿のものにしては少々大きすぎる。ビットン卿が言うには、購入する際、帽子屋には確かに少々大きなサイズの帽子がもう一つあったが、屋敷に届いた帽子は実際に被ってみたのだから大きすぎるはずはないと言う。(帽子にはビットン卿のネーム入りなので、帽子屋の残りの在庫とは考えられない) ドリスコルの死体が発見され、塔内の足止めされた客の中にはビットン卿の弟レスターの妻ローラもいた。ドリスコルとは会わなかったし、来ていることも知らなかったという。凶器の矢は土産物で、ローラがフランス旅行で購入した物。
[7 ラーキン夫人の袖口] 矢は鑢で先端が尖らせてある。いかにも土産物という「遊覧記念」の文字も途中まで削られている。ワトスン医師の推定によるとドリスコルが死亡したのは午後1時50分前後数分の誤差。ドリスコルの所持品の中に手紙。「ロンドン塔へ1時半に。怪しまれたら、最後よ。メアリー」 メモ。「最適の場所? ロンドン塔? 帽子を追う トラファルガー 突き通せず 木 生垣か柵 調査」 塔内に足止めされた客の一人、ラーキン夫人はどうやら私立探偵。
[8 アーバー氏をとりまくもの] アーバーはビットン卿がポオの原稿を所持しているのをとっくに承知で、可能ならば買い取ろうと考えていた。ビットン卿は原稿を不法な手段で入手しており、その法的な所有権は既にアーバーにある。しかしアーバーは騒動を嫌う性格であり、強引な方法を用いれば原稿そのものを破棄される可能性もあるため、ビットン卿に対しては何も言っていない。探りを入れた感じでは、ビットン卿は絶対に原稿を誰にも譲るつもりはない様子。ビットン卿は原稿の所持すら秘密にしているつもりだが、秘密を守ってると思ってるのは当人のみ。周囲の者は大体のところは察している。死体の主がドリスコルと知らされたアーバーは、傍目にも明らかなほど、強いショックを受けた様子。晩餐で一度会っただけだという。アーバーは鳥打帽を被った男を見かけていたが、それがドリスコルだったとは気づいていない。1時35分に若い婦人とぶつかった。
[9 三つの示唆] もしドリスコルが原稿を盗み出し、アーバーにそれを買い取るように持ち掛けたならば、それは両者にとって都合がいい。ドリスコルは年中カネに困っていたし、法的所有権を持つアーバーはとにかく現物さえ入手してしまえば、ビットン卿ももうどうにもできないであろう。しかしフェル博士はそれを否定する。なぜなら決して臆病者ではないドリスコルが最も恐れていたのは、自身を援助してくれる叔父ビットン卿の寵愛を失うことだから。この取引で多少の金銭を得ることで、遺産配分まで失ってしまう愚は犯さないであろうという。フェル博士のヒント。「第一に、ドリスコルが死んだのは、パーカーが生きている彼を目撃した最後の時刻1時30分から医師による死亡推定時刻1時50分頃までの間と見られる。第二に、矢に書かれた文字をなぜ途中までしか消してないのか? 第三に、ビットン卿の帽子は、なぜ彼の頭にピッタリだったのか?」
[10 鏡に光る目] ドリスコルの部屋に女が侵入し、中は荒らされていた。部屋の中には部屋の主に似つかわしくない二つの石膏像(フィリップ2世とメアリ・テューダー)がある。女はローラで、ドリスコルはその浮気相手と見られる。アーバーは誰かに命を狙われていると感じている様子。ドリスコルの部屋にまた侵入者。その正体はレスターで、石膏像を叩き壊していた。
[11 小さな石膏人形] ハドリー警部、ローラの逮捕をちらつかせ、レスターに圧力を掛ける。
[12 X十九号について] レスター、警部のブラフに屈し、雇っていた探偵ラーキン夫人に証言させる。「ローラが塔に着いたのは1時10分。それから喫茶室に入り、そこから出て歩き出したのが1時20分。逆賊門のところでローラはドリスコルと会った。二人は会話していたが、ドリスコルは何やら用事を思い出し、5分以内に戻るからと、立ち去った。ローラも少し遅れて歩き出した。それが1時35分。結局ドリスコルは戻って来なかったが、ずっとラーキン夫人はローラを尾行していたので、ローラが犯人ではないと太鼓判」
[13 ビットン嬢のおしゃべり] ダルライはシェーラ・ビットンと婚約者だが、カネもなくポーカー好きの彼を、ビットン卿は娘の相手としては気に入っていない。ドリスコルはダルライの声を真似てシェーラにイタズラ電話したりすることもあった。ドリスコルは冗談で、もし死ぬならトップハットを被って死にたいと言ったことがある。
[14 シルクハットをかぶって死にたい] ビットン卿のトップハットのサイズが間違ってることに気づいたマークスは、何とかそれを誤魔化そうと、とっさに細長く畳まれた紙片を帽子の裏革に挟み込んでサイズ調整した。ところがその後、その紙片こそがポオの原稿であることに気づいた。しかしとても言い出せるようなことではなく、帽子が盗難に遭ってしまってはもうどうにもできなかった。
[15 ゴム鼠事件] 帽子泥棒はドリスコルだった。記者として手柄が欲しくて事件をでっち上げたのだ。ところが盗んだ帽子の中に叔父の大切な原稿を見つけ、窮地に陥った。返却すればドリスコルが犯人だとバレてしまう可能性が高い。そこで彼は頼りにしているダルライに相談を持ち掛けるとともに、自力での解決も試みた。すなわちビットン卿の車の中に、盗んだトップハットを押し込もうとした。しかし運悪くビットン卿に見つかりそうになってしまったので、とっさにそこにあった別の帽子を盗み出し、単なる帽子泥棒に見せかけようとした。矢はドリスコルが盗んだ帽子を街に飾るために使おうとしていたもの。文字はまだ消そうとしている途中だった。
[16 暖炉の中に] ドリスコルの部屋の暖炉から、一部燃えてしまった原稿が見つかった。レスターは拳銃自殺した。
[17 ビットン邸の死] レスターは片手に拳銃、もう一方にローラの写真を握って死んでいた。
[18 アーバー氏の聞いた声] アーバーはドリスコルらしき人物から電話で原稿の取引を持ち掛けられ、それを受け入れた。ところがその取引が成立する前に殺人事件に巻き込まれた。被害者がドリスコルであると知ったのもショックだったが、その後もう一つのショックを受けた。電話で聴いたドリスコルと思しき声を、彼の死後、また聴いたのだ。
[19 血塔の下でか?] ハドリー警部、事件についての推理を語る。
[20 殺人者の告白] フェル博士が沈黙を勧めたにも関わらず、殺人者は告白する。
[21 未解決] ドリスコルが死んだのは、月に一度、ビットン卿が来訪する日だった。今回、ビットン卿はそれを取り止めていたのだが、ドリスコルはそれを知らなかったために死んだ。