信濃譲二シリーズの長編第3作。演劇の最中の殺人。劇中劇。[???]

マスターストローク特別公演
「神様はアーティストがお好き」
dedicated to Kiyomi Izawa

作 / 滝川陽輔
演出 / 風間彰

●配役
映画監督・ネッチコック / 斎木雅人
音楽家・ニャンコフスキー / 滝川陽輔
画家・ゴッホン / 住吉和郎
作家・ソーセーキ / 住吉和郎 (二役)
メイド・しのぶ / 毛利恭子
株式会社シャーロック・ホームズ一号店
店長・オーギュスト明智 / 風間彰
助手・ワトソン二〇四号 / 松岡みさと

●スタッフ
舞台監督 / 榊新一
美術監督 / Keisuke柴田
照明 / 庄司久志
音響 / 元木はじめ & his friends
機械 / 仲添幸太郎
制作 / 信濃譲二

Special thanks to Yasunori Izawa



信濃譲二が殺された。その新聞記事を読んだ市之瀬徹はショックを受けた。譲二は、あらぬ疑いを掛けられた徹の無実を晴らしてくれたこともある恩人であり、ほかにも難事件を解明したこともある名探偵であった。その彼が死んだ…。

話は遡る。劇団「マスターストローク」は次の公演を控え、人員募集していたが、それに応えたのが譲二だった。彼の働きぶりは申し分なく、ついに公演の日を迎えた。それはかつて稽古中の事故で命を落とした仲間・伊沢清美の追悼公演でもあった。

公演会場は「シアターKI」であるが、それは本来なら「マスターストローク」には分不相応な規模の舞台だった。なぜこの会場が使用できるかと言えば、それはここを作ったのは清美の父だからである。彼は娘を亡くした当初こそ劇団を恨んでいたが、時が経つに連れ心境も変化し、娘が愛していた芝居に取り組む若者たちを応援するようになっていったという。その思いこそが、伊沢清美のイニシャルを冠した「シアターKI」であり、彼女の仲間による追悼公演の実現に繋がった。

その公演初日に事件が発生する。小道具のナイフが本物にすり替えられており、劇団員の住吉和郎が刺されたのだ。幸いなことに傷はあまり深いものではなく、配役は変えざるを得なかったが、翌々日には公演は再開された。

警戒はしていたはずだった。しかし、またもやナイフはすり替えられた。今度は怪我だけでは済まなかった。滝川陽輔は死んだ。


※以下すべて反転表示。ネタバレ注意。



回転する円形の舞台を抱える施設での事件。

これはかなりのガッカリ作品。読み終わると、拍子抜けもいいところ。「エピローグ」や「カーテンコール」の文字を見て、「やっぱ何かどんでん返しがあるんだな!」と期待するも、何もなく、さらに落胆は深まるばかり。冒頭にある、「信濃譲二は殺された」という、この趣向だけの作品じゃないだろうか。

作中劇を使ったミステリ作品はいくつかあるけど、成功作はそれほど多くないと思う。現実の場面の中に、舞台劇がぶつ切りで挿入されても、その筋書きの面白さがいまいち伝わらないし、どちらも中途半端になる印象がある。せめてその筋書きの中に、事件の謎を解く大きな手掛かりでもあるならまだしも、本作ではそれもない。さほどの出来でもなさそうなドタバタ喜劇が、単に物語をぶった切るだけ。

途中で開陳される大掛かりな機械トリックは、いかにも無理がある(他の客の動きをまったく想定してない)ものなのだが、せっかく妙な建物を舞台として使うなら、そこに何らかのトリックを仕掛けて欲しかった。(題名にしても、そういうトリックがあると、読者を誘導するのが作者の仕掛けなんだろうけど)

真相も、「こうでなければ成立しない」というものじゃないんだよね。まったく推論の域を出ておらず、その場に居た、誰が犯人であろうがいいんじゃないだろうか。普通に考えれば、まず怪しいのは刺した毛利恭子だろう。本物のナイフと思わずに刺したというのは、一回目はともかく、二回目は無理がある。もしそんな事故があった直後なら、ナイフがちょっとでも手元を離れていれば、それが小道具かどうか警戒して、確認するのが通常の心理だろう。それは軽く押し込むだけで、一瞬で済むこと。そんなことすらしないのがおかしい、という以上に、それを犯人が想定しないのがおかしい。