連作短編集。人形が推理? [???]
妹尾睦月(せのおむつき):めぐみ幼稚園の保母
朝永嘉夫(ともながよしお):腹話術師
鞠小路鞠夫(まりこうじまりお):人形
柿沼遥(かきぬまはるか):腹話術師, 朝永の知人, 美人
小田切(おだぎり):警部
「人形はこたつで推理する」:クリスマス会後に、幼稚園で飼育しているウサギがすり替えられる。
「人形はテントで推理する」:テントの中の部屋での撲殺。
「人形は劇場で推理する」:殺された人物の脳裏に浮かんでいた、謎の人物の名前「ジークフリート」。
「人形をなくした腹話術師」:楽屋に置かれた人形が盗まれ、破壊される。
※以下の反転表示部はネタバレ注意。
腹話術師・朝永嘉夫が芸に没頭しすぎたあまりか、まるでその人形・鞠小路鞠夫が人格を持ち、朝永の意志とは無関係に話すかのようになってしまった。そして鞠夫(あるいは鞠夫の姿を借りた朝永)は普段の朝永以上の推理能力を発揮する。
…というのが本作の設定。極上生徒会はこれとは無関係…だと思うw
短編4編が収録されていて殺人事件も扱われているが、ユーモアを交えた文体でまったく重くない。最も重いのは殺人よりも人形破壊。
ライト・ミステリながらも本格推理で良作。
「人形はこたつで推理する」
めぐみ幼稚園の今年のクリスマス会は大成功だった。園長の知り合いという、朝永嘉夫さんの腹話術は素人目にも凄いもので、どう見てもそこにふたりのひとが居るとしか思えないほど。
発端は些細なことだった。12月20日。クリスマス会が終わり、後片付けをしていると、うさぎ小屋の前の餌箱の中身がそこらじゅうにばら撒かれていることに気づいたのだ。そのときは園児の誰かのいたずらかと、大して気にも留めなかった。
12月24日の昼。うさぎのユキコが死んでいるのを見つけた。死因はわからないが、昨夜冷え込んだせいかも知れない。ユキコはこれまでもしばしば病気になっていたし、ショックは受けたものの、驚くことではなかった。庭にユキコのお墓を作った。
異様さを感じたのは、1月3日のことだった。園長の家に挨拶に行くついでに、先日の一件が頭にあったのだろう、うさぎ小屋の様子を見に行ったのだ。押し殺した悲鳴を上げた。小屋の傍に私が作った、ユキコのお墓が掘り起こされ、その脇に引き裂かれたユキコの死体があったのだ。
1月8日には、うさぎ小屋の南京錠がなくなっていた。掛け金はかかっていたため、二匹のうさぎ、シロとタロウは逃げ出したりせずにちゃんと中に居た。小屋の中がやけに綺麗に掃除されていたのが不思議だった。
気づいたのは園児たちだった。二匹のうさぎがシロとタロウではないと言うのだ。もし誰かがシロとタロウを別のうさぎとすり替えたのなら、いったい誰が何のためにこんなことをしたのだろう。
鞠小路鞠夫。彼は、腹話術師の朝永さんのパートナーたる人形だ。いいえ、鞠夫イコールその人形というのは、ちょっと違うだろうか。どうしたものか、朝永さんの中には鞠夫の人格があり、朝永さんの意思とは無関係に勝手に喋りだすのだ。この秘密を知っているのは、朝永さんと鞠夫のほかには、私、妹尾睦月だけ。鞠夫は朝永さんとは違って、根性が曲がった、口の悪いやつですが、優れた推理能力の持ち主なのだ。
好きなだけ買ってもらえたのなら、適当なタイミングを利用して、「なくした」で済ますことはできなかったのだろうか…。
「人形はテントで推理する」
朝永さんも出演する舞台に招待してもらった。そこには色とりどりのテントが立ち並んでいたが、お目当てのテントに到着する前に、せっかく購入したばかりのワンピースにソフトクリームを付けられてしまい、さっきまでの楽しい気分はどこへやら、もう泣きたいくらい。その染みはこの場で落とすことは無理だったので、朝永さんには決して後ろ姿を見られないようにしなければ。
テントの中、楽屋の一室で出演者のひとりのパンダ・五反田(本名:堀川政義)さんが殺された。一室といっても、テントがそのまま外側の壁となっていて、両隣の部屋とは組み立て式の板で仕切られただけの簡易なものだ。テントは狭い間隔でピンで地面に固定され、そのわずかな隙間から人が出入りすることは不可能。仕切り板の上部に隙間はあっても、もしそれを乗り越えたらすぐに壊れてしまうほど脆い上に、外部から丸見えだったはず。ということで、被害者の部屋を訪れているところを目撃された、朝永さんの自称・恋人の柿沼遥さんが容疑者となった。
被害者はブラック・ジャック(革袋に砂や金属片などを詰めた凶器)のような物で頭部に打撃を加えられ、死亡したらしい。だったら、それを長い紐に結びけて、隣の部屋から仕切り板の上を通して…という私のアイデアは一蹴されてしまう。被害者が室内のどこに居るのか正確に把握することは難しいし、だいいち楽屋が監視状態に置かれていたのは、たまたま結果的にそうなっただけであって、本来そんな策を弄する必要がない、というのだ。そして否定材料として、さらに(私にとって)重要なことは、隣の部屋は朝永さんの楽屋だということだ…。
重要かも知れないことはもう一つ。被害者はコンタクトレンズを使用していたが、その片方が外れていて、室内には見当たらなかったそうだ。
もし遥さんが犯人なら、私にとっては都合がいい…などという、悪魔の囁きが聞こえるはずはない。遥さんの無実を信じて、鞠夫の推理を聞いてみよう。
一つならず二つ(あるいは三つ)もの偶然が重なった結果というのは、あまりにも都合良すぎるとは思う。最後のどんでん返しを生み出した偶然は、それがなくても成立するのだから、ちょっとしたオマケと見てもいいのだけど。
テントには手を出す隙間はない。
「人形は劇場で推理する」
朝永さんに誘われて、ふたりで一緒に四夜連続のオペラ「ニーベルングの指輪」を観ることになったのに、なぜか遥さんまで付いてきた。もうこの際、それについては諦めたものの(彼女が風邪でも引かないかという期待は持ち続けたが)、初日にも見掛けたいびき男が、第三夜にまたもや前の席に座ったことにはうんざりだった。そして第一幕が終わると、いびき男の正体に気づいた。テントの事件で知り合った、小田切警部ではないか。
警部は、ある事件で行き詰っていた。この際、何かヒントでも得られないかと、彼はその事件について話し始めた。
被害者は広告代理店の社長である小嶋政昭。68歳。衣服を剥ぎ取られた彼の死体が、ごみ捨て場に遺棄されていた事件だ。別の場所にて、薄手のペーパーナイフのような物で心臓を刺されての死亡後に、発見現場に運ばれたものと見られる。それがなぜ「ニーベルングの指輪」の観劇に結びつくかと言えば、それは彼が生前に書き残していた日記のためだ。
被害者は、その死の三ヶ月ほど前から何度も同じような夢を見ていたらしい。それは誰かに追い掛けられ、刺し殺される夢。社長ともなるとストレスも多いらしく、被害者はここ一・二年ほど、週二回のクリニック通いを続けていて、その夢についても医師に相談していて、それは日記にも書き残されていた。日記によると、彼は誰かに追い掛けられ、ついに捕まり、押し倒される。そして下腹部に何か尖った物が突き刺され、その激痛と恐怖で目が覚めるという夢を見ていた。その相手が誰なのか、被害者にはどうしてもわからないが、なぜか思い浮かぶ名前はジークフリートだという。
被害者は「ジークフリート」にも、「ニーベルングの指輪」にも、北欧神話やオペラにもまったく詳しくない。ジークフリートは「確かワグナーのオペラに出てくる英雄のはず」という程度の知識だ。警部によると、おそらく被害者は生前から無意識のうちに誰かに対して危険を感じていて、その潜在的な恐怖心がジークフリートに殺害されるという夢の形で表面化したのではないかという。つまり被害者が「ジークフリート」を連想する人物こそ犯人なのではないかというわけだ。被害者の関係者、家族や会社の同僚などの中から、「ジークフリート」に相応しいと思われる者は居ないかと、私たちは話し合ったが、「それだ!」と納得できる答えは得られなかった。今回も鞠夫に推理させよう。
真相がなんとなく「黒後家蜘蛛の会」風なネタ。(作者によるあとがき読んだら、やっぱりだった) 途中では、被害者を運んだりするのは難しいとか何やら推理が展開されるが、真相が判明すると、その辺りはまったく不要ではなかったかと思ってしまうのが残念なところ。被害者の衣服が剥ぎ取られたりしてるのも、特に意味ないし。
「人形をなくした腹話術師」
こんなひどい事件に巻き込まれることになってしまったのは、テレビ出演を依頼されたものの、あまり乗り気ではなかった朝永さんを、私が無理に説き伏せたせいだ。
収録は結果的には上手くいった。朝永さんは明らかにあがってたけど、それをフォローする鞠夫とのやりとりがかえって自然なものに見えた。でも楽屋に戻った朝永さんは落ち込んでた。鞠夫があまりにも朝永さんのコントロールから離れて勝手に動いてしまうので、これでは自分は単なる二重人格者であって、果たして芸人と言えるのかと肩を落としてる。その場はとりあえず収まったものの、朝永さんは人知れずその悩みをずっと抱えていたようだ。
私たちは楽屋を出て、またスタジオに向かった。ちょうど収録が終わったらしく、一般客がぞろぞろと出口へと列を作ってる。すると、スタッフのひとりが近寄ってきて、番組スポンサーの社長とそのお孫さんを私たちに紹介してくれた。お孫さんは先ほどの腹話術をとても気に入ったようで、朝永さんはサインまで求められて照れ笑いを浮かべてる。お孫さんが鞠夫のサインも欲しいと言うので、朝永さんは楽屋へと鞠夫を取りに行った。
朝永さんはなかなか戻ってこなかった。どうもおかしいと、様子を見てこようと私がスタジオを出た途端に、彼が楽屋から飛び出してくるのが見えた。彼は私の肩を掴むと、叫んだ。「鞠夫が居ない!」
鞠夫は人形だ。朝永さんが居なければ勝手に喋ることもできないし、もちろん歩き回ったりなんて絶対にない。となると、その答えは誰かに盗まれた、となる。
鞠夫は鞄ごと、地下駐車場で発見された。ようやく取り戻した鞄を開いた朝永さんは愕然とした。それは私も同じだった。そこにあったのは引きちぎられた布切れと綿屑や、肌色の細かい塊。鞠夫は無惨な姿に変わり果てていた。朝永さんは砕けた頭を抱えて、呆然としている。苦しそうな鞠夫の呻き声が響いた。「僕を殺したやつを捕まえて…」
朝永さんと私は犯人捜しを始めた。出演者は朝永さんを含めて皆、同じ楽屋を使っていたので、その中のひとり、フィリップ・ゴールドスミスさんにも話を訊こうとしたときだった。「フィリップ・ゴールドスミスとマネージャーが、麻薬の不法所持容疑で逮捕された!」
ゴールドスミスさんは人形を使ったマジックを行なっていた。鞠夫の事件と何か関係あるのでは…。
お目当ての人形と鞠夫を間違えるような人物は限られる。
妹尾睦月(せのおむつき):めぐみ幼稚園の保母
朝永嘉夫(ともながよしお):腹話術師
鞠小路鞠夫(まりこうじまりお):人形
柿沼遥(かきぬまはるか):腹話術師, 朝永の知人, 美人
小田切(おだぎり):警部
「人形はこたつで推理する」:クリスマス会後に、幼稚園で飼育しているウサギがすり替えられる。
「人形はテントで推理する」:テントの中の部屋での撲殺。
「人形は劇場で推理する」:殺された人物の脳裏に浮かんでいた、謎の人物の名前「ジークフリート」。
「人形をなくした腹話術師」:楽屋に置かれた人形が盗まれ、破壊される。
※以下の反転表示部はネタバレ注意。
腹話術師・朝永嘉夫が芸に没頭しすぎたあまりか、まるでその人形・鞠小路鞠夫が人格を持ち、朝永の意志とは無関係に話すかのようになってしまった。そして鞠夫(あるいは鞠夫の姿を借りた朝永)は普段の朝永以上の推理能力を発揮する。
…というのが本作の設定。極上生徒会はこれとは無関係…だと思うw
短編4編が収録されていて殺人事件も扱われているが、ユーモアを交えた文体でまったく重くない。最も重いのは殺人よりも人形破壊。
ライト・ミステリながらも本格推理で良作。
「人形はこたつで推理する」
めぐみ幼稚園の今年のクリスマス会は大成功だった。園長の知り合いという、朝永嘉夫さんの腹話術は素人目にも凄いもので、どう見てもそこにふたりのひとが居るとしか思えないほど。
発端は些細なことだった。12月20日。クリスマス会が終わり、後片付けをしていると、うさぎ小屋の前の餌箱の中身がそこらじゅうにばら撒かれていることに気づいたのだ。そのときは園児の誰かのいたずらかと、大して気にも留めなかった。
12月24日の昼。うさぎのユキコが死んでいるのを見つけた。死因はわからないが、昨夜冷え込んだせいかも知れない。ユキコはこれまでもしばしば病気になっていたし、ショックは受けたものの、驚くことではなかった。庭にユキコのお墓を作った。
異様さを感じたのは、1月3日のことだった。園長の家に挨拶に行くついでに、先日の一件が頭にあったのだろう、うさぎ小屋の様子を見に行ったのだ。押し殺した悲鳴を上げた。小屋の傍に私が作った、ユキコのお墓が掘り起こされ、その脇に引き裂かれたユキコの死体があったのだ。
1月8日には、うさぎ小屋の南京錠がなくなっていた。掛け金はかかっていたため、二匹のうさぎ、シロとタロウは逃げ出したりせずにちゃんと中に居た。小屋の中がやけに綺麗に掃除されていたのが不思議だった。
気づいたのは園児たちだった。二匹のうさぎがシロとタロウではないと言うのだ。もし誰かがシロとタロウを別のうさぎとすり替えたのなら、いったい誰が何のためにこんなことをしたのだろう。
鞠小路鞠夫。彼は、腹話術師の朝永さんのパートナーたる人形だ。いいえ、鞠夫イコールその人形というのは、ちょっと違うだろうか。どうしたものか、朝永さんの中には鞠夫の人格があり、朝永さんの意思とは無関係に勝手に喋りだすのだ。この秘密を知っているのは、朝永さんと鞠夫のほかには、私、妹尾睦月だけ。鞠夫は朝永さんとは違って、根性が曲がった、口の悪いやつですが、優れた推理能力の持ち主なのだ。
好きなだけ買ってもらえたのなら、適当なタイミングを利用して、「なくした」で済ますことはできなかったのだろうか…。
「人形はテントで推理する」
朝永さんも出演する舞台に招待してもらった。そこには色とりどりのテントが立ち並んでいたが、お目当てのテントに到着する前に、せっかく購入したばかりのワンピースにソフトクリームを付けられてしまい、さっきまでの楽しい気分はどこへやら、もう泣きたいくらい。その染みはこの場で落とすことは無理だったので、朝永さんには決して後ろ姿を見られないようにしなければ。
テントの中、楽屋の一室で出演者のひとりのパンダ・五反田(本名:堀川政義)さんが殺された。一室といっても、テントがそのまま外側の壁となっていて、両隣の部屋とは組み立て式の板で仕切られただけの簡易なものだ。テントは狭い間隔でピンで地面に固定され、そのわずかな隙間から人が出入りすることは不可能。仕切り板の上部に隙間はあっても、もしそれを乗り越えたらすぐに壊れてしまうほど脆い上に、外部から丸見えだったはず。ということで、被害者の部屋を訪れているところを目撃された、朝永さんの自称・恋人の柿沼遥さんが容疑者となった。
被害者はブラック・ジャック(革袋に砂や金属片などを詰めた凶器)のような物で頭部に打撃を加えられ、死亡したらしい。だったら、それを長い紐に結びけて、隣の部屋から仕切り板の上を通して…という私のアイデアは一蹴されてしまう。被害者が室内のどこに居るのか正確に把握することは難しいし、だいいち楽屋が監視状態に置かれていたのは、たまたま結果的にそうなっただけであって、本来そんな策を弄する必要がない、というのだ。そして否定材料として、さらに(私にとって)重要なことは、隣の部屋は朝永さんの楽屋だということだ…。
重要かも知れないことはもう一つ。被害者はコンタクトレンズを使用していたが、その片方が外れていて、室内には見当たらなかったそうだ。
もし遥さんが犯人なら、私にとっては都合がいい…などという、悪魔の囁きが聞こえるはずはない。遥さんの無実を信じて、鞠夫の推理を聞いてみよう。
一つならず二つ(あるいは三つ)もの偶然が重なった結果というのは、あまりにも都合良すぎるとは思う。最後のどんでん返しを生み出した偶然は、それがなくても成立するのだから、ちょっとしたオマケと見てもいいのだけど。
テントには手を出す隙間はない。
「人形は劇場で推理する」
朝永さんに誘われて、ふたりで一緒に四夜連続のオペラ「ニーベルングの指輪」を観ることになったのに、なぜか遥さんまで付いてきた。もうこの際、それについては諦めたものの(彼女が風邪でも引かないかという期待は持ち続けたが)、初日にも見掛けたいびき男が、第三夜にまたもや前の席に座ったことにはうんざりだった。そして第一幕が終わると、いびき男の正体に気づいた。テントの事件で知り合った、小田切警部ではないか。
警部は、ある事件で行き詰っていた。この際、何かヒントでも得られないかと、彼はその事件について話し始めた。
被害者は広告代理店の社長である小嶋政昭。68歳。衣服を剥ぎ取られた彼の死体が、ごみ捨て場に遺棄されていた事件だ。別の場所にて、薄手のペーパーナイフのような物で心臓を刺されての死亡後に、発見現場に運ばれたものと見られる。それがなぜ「ニーベルングの指輪」の観劇に結びつくかと言えば、それは彼が生前に書き残していた日記のためだ。
被害者は、その死の三ヶ月ほど前から何度も同じような夢を見ていたらしい。それは誰かに追い掛けられ、刺し殺される夢。社長ともなるとストレスも多いらしく、被害者はここ一・二年ほど、週二回のクリニック通いを続けていて、その夢についても医師に相談していて、それは日記にも書き残されていた。日記によると、彼は誰かに追い掛けられ、ついに捕まり、押し倒される。そして下腹部に何か尖った物が突き刺され、その激痛と恐怖で目が覚めるという夢を見ていた。その相手が誰なのか、被害者にはどうしてもわからないが、なぜか思い浮かぶ名前はジークフリートだという。
被害者は「ジークフリート」にも、「ニーベルングの指輪」にも、北欧神話やオペラにもまったく詳しくない。ジークフリートは「確かワグナーのオペラに出てくる英雄のはず」という程度の知識だ。警部によると、おそらく被害者は生前から無意識のうちに誰かに対して危険を感じていて、その潜在的な恐怖心がジークフリートに殺害されるという夢の形で表面化したのではないかという。つまり被害者が「ジークフリート」を連想する人物こそ犯人なのではないかというわけだ。被害者の関係者、家族や会社の同僚などの中から、「ジークフリート」に相応しいと思われる者は居ないかと、私たちは話し合ったが、「それだ!」と納得できる答えは得られなかった。今回も鞠夫に推理させよう。
真相がなんとなく「黒後家蜘蛛の会」風なネタ。(作者によるあとがき読んだら、やっぱりだった) 途中では、被害者を運んだりするのは難しいとか何やら推理が展開されるが、真相が判明すると、その辺りはまったく不要ではなかったかと思ってしまうのが残念なところ。被害者の衣服が剥ぎ取られたりしてるのも、特に意味ないし。
「人形をなくした腹話術師」
こんなひどい事件に巻き込まれることになってしまったのは、テレビ出演を依頼されたものの、あまり乗り気ではなかった朝永さんを、私が無理に説き伏せたせいだ。
収録は結果的には上手くいった。朝永さんは明らかにあがってたけど、それをフォローする鞠夫とのやりとりがかえって自然なものに見えた。でも楽屋に戻った朝永さんは落ち込んでた。鞠夫があまりにも朝永さんのコントロールから離れて勝手に動いてしまうので、これでは自分は単なる二重人格者であって、果たして芸人と言えるのかと肩を落としてる。その場はとりあえず収まったものの、朝永さんは人知れずその悩みをずっと抱えていたようだ。
私たちは楽屋を出て、またスタジオに向かった。ちょうど収録が終わったらしく、一般客がぞろぞろと出口へと列を作ってる。すると、スタッフのひとりが近寄ってきて、番組スポンサーの社長とそのお孫さんを私たちに紹介してくれた。お孫さんは先ほどの腹話術をとても気に入ったようで、朝永さんはサインまで求められて照れ笑いを浮かべてる。お孫さんが鞠夫のサインも欲しいと言うので、朝永さんは楽屋へと鞠夫を取りに行った。
朝永さんはなかなか戻ってこなかった。どうもおかしいと、様子を見てこようと私がスタジオを出た途端に、彼が楽屋から飛び出してくるのが見えた。彼は私の肩を掴むと、叫んだ。「鞠夫が居ない!」
鞠夫は人形だ。朝永さんが居なければ勝手に喋ることもできないし、もちろん歩き回ったりなんて絶対にない。となると、その答えは誰かに盗まれた、となる。
鞠夫は鞄ごと、地下駐車場で発見された。ようやく取り戻した鞄を開いた朝永さんは愕然とした。それは私も同じだった。そこにあったのは引きちぎられた布切れと綿屑や、肌色の細かい塊。鞠夫は無惨な姿に変わり果てていた。朝永さんは砕けた頭を抱えて、呆然としている。苦しそうな鞠夫の呻き声が響いた。「僕を殺したやつを捕まえて…」
朝永さんと私は犯人捜しを始めた。出演者は朝永さんを含めて皆、同じ楽屋を使っていたので、その中のひとり、フィリップ・ゴールドスミスさんにも話を訊こうとしたときだった。「フィリップ・ゴールドスミスとマネージャーが、麻薬の不法所持容疑で逮捕された!」
ゴールドスミスさんは人形を使ったマジックを行なっていた。鞠夫の事件と何か関係あるのでは…。
お目当ての人形と鞠夫を間違えるような人物は限られる。