雨のあとに虹 その141
「高村さんのブレーンを連れて来ても良いから総武の舵取りはお願いします。」
春香は言った。
「僕も引受けた以上は責任を持って生命がけでさせていただきますよ。」
俊之が言うと春香は安心するように
「三友商事との業務提携や総武鉄道の延長プロジェクトが早急の課題ですけどね。」
言った。春香が言おうとしている事は俊之もすでに承知していた。
「僕なりの方針は考えてありますよ。」
俊之はあくまでやわらかい口調で言った。
「こういう所しか知らなくてね。」
矢島は行きつけの小料理屋へ久美子を連れて来ていた。久美子は周囲を見回して
「私は小料理屋さんに来るのは初めてです。」
と言った。小料理屋と言ってもかなりの高級感がある店である。
「それは良かった。」
矢島は言った。
「落着いて素敵ですね。」
久美子が言うと
「遠慮しないで座って!」
矢島は丁寧な口調で言った。
「失礼します。」
久美子は言って座った。
「高村さんに総武をお任せします。」
田中が運転する社用車から出て来て春香は言った。
「任せてください。」
社用車から降りた俊之が言うと
「おやすみなさい。」
春香は言った。俊之のマンションの前は静か声が少し響いている。
「明後日には会社に顔を出します。」
俊之は春香に言った。
「その時には軽く主要メンバーを紹介します。」
春香は言って俊之のスーツにある胸ポケットに封筒を入れた。
「これは大丈夫ですよ。」
俊之が言うと春香は
「いいから何かの時に使ってね。」
春香は言った。
「そんなに気を使わなくても大丈夫ですよ。」
俊之が言うと
「総武のトップにはお金が必要になるはずよ。」
春香は言った。
「まだ仕事はしていないですよ。」
俊之が言うと
「父からも渡すように言われたのよ。」
春香は言いながら社用車に入った。田中は春香が座るのを確認すると社用車を静かにスタートさせていた。俊之は去っていく社用車を見送った。
「そんな事があったのですか?」
久美子は言った。矢島から俊之の家族のについて聞いていたのだ。俊之は必ずしも望まれて生まれてきたわけではなかった事を聞いて久美子は自分の事のようにショックを受けていた。父親は仕事もせずにほとんど俊之とは交流が無かった事にも驚きがあった。母親はどこかで俊之が疎ましく妹の静江だけに愛情をかけた事については同じ女性として複雑な気持ちがあった。久美子自身にもその可能性はゼロではなかったのだ。その代わりにおじいさんにはかわいがられていた事が俊之の心を和ませていたのがよく理解できた。友人や仲間に恵まれていて学力など才能もあった事が俊之の運命を良い方向に持ち上げてくれた事は良かったと思っていた。うわさとは言え俊之が小学生の頃に近所のおばさんから俊之と静江にと貰ったケーキが俊之の口には入らなかったらしい事などは久美子の胸を大きく締め付けていた。
「こんな話をするべきではないのかもしれないけどね。」
矢島は言った。久美子は
「お話を聞かせていただいてよかったです。」
と言った。
「久美子さんが高村と真剣な付合いをしているのなら知っておいてもらいたいと思ってね。
矢島は言った。
「俊さんにそんな事があったとは知りませんでした。」
久美子は言った。
「あいつはまだ心のどこかに呪縛のようなものがある。」
矢島が言うと
「呪縛ですか?」
久美子は矢島の目を見て言った。
「一見しては気づかないが自分の幸福には背を向けるところがあってね。」
矢島は言った。
「俊さんはどこかで孤独な空気を持っていますね。」
久美子が言うと
「久美子さんならそれを解放できるかも知れないと思ったものだからね。」
矢島は言った。矢島の言葉を聞いて久美子は思い出していた。
「最初に出会った頃は笑顔でも心では笑っていないような雰囲気がありました。」
久美子が言うと
「高村はいつも表面だけが笑顔だよね。」
矢島は言った。
「時々寂しそうな表情をする事もありました。」
久美子が言うと
「久美子さんも気付いていましたか?」
矢島は言った。
「最近はなくなってきたようにも思いますけどね。」
久美子が言うと
「きっと久美子さんに正直な自分を出せるようになったからだろうね?」
矢島は言った。
「最初から比べると少し明るくなりましたよ。
久美子が言うと
「それはよかったよ。」
矢島は言った。
「時間が解決してくれるのは本当でしょうか?」
久美子が言うと
「あの笹川という青年が奇策を考えてくれるらしいね。」
矢島は言うと久美子に日本酒を注いでいた。
「すみません。」
久美子は言った。矢島には自動車の運転があるのでノンアルコールであった。