雨のあとに虹 その116
「少し休むよ。」
榊原は妻の多恵子に言った。
多恵子は顔色が優れない様子の夫に
「お疲れのようですね?」
と相変わらず他人行儀な言葉で言った。ふたりは結婚して10年以上経つが子供はなく世間の暖かい家庭のような雰囲気とは程遠かった。心が安らぐ時間を持つのは自分には無理なようだと榊原は諦めていた。その代わりに俊之を意識して仕事だけを考えているのは今も変わらない。変わらないのではなく強くなってきていた。
「もう時間がない。」
榊原は小さく言った。
「どうなさったのですか?」
多恵子が言った。
「何でもないよ。」
榊原は力なく言った。
「最近はちゃんとお墓参りしていたの?」
未来が言うと俊之は
「去年の春には行ったけど今年の秋は行けなかったですね。」
恐縮したように言った。俊之と未来はお正月のために開店している店も少ないので小さな公園のベンチに座って缶コーヒーを飲んでいた。少し寒いがたまには良いものである。
「ダメねえ。」
未来が言った。
「すみません。」
俊之が言うと
「ご先祖様が怒るわよ。」
未来は言った。未来は俊之の頭が回らないところに気が利くのである。
「実は今朝がた祖父の夢を見ましてね。」
俊之は祖父を懐かしく思って言った。家族や親戚の中で唯一俊之を気にかけてくれた祖父である。その祖父は俊之が小学校に上がった年の秋に癌で亡くなっていた。それ以降の俊之は自分の居場所がないような日々を送っていたのだ。群集の中の孤独とも言える虚無的な気持ちを感じる日々が続いていた。
「おじいさんは高村さんを可愛いがってくれたでしょ?」
未来が言った。俊之は未来に言われて
「どうして解かるのですか?」
と言った。
「女の感よ。」
未来は言った。俊之は育子にはじまり久美子や未来が女の感と言う言葉を耳にする機会が増えていた。俊之は女の感に比べて男の感はあまり働かないと思っていた。
「祖父は相変わらず優しい顔をしていましたよ。」
俊之は言った。
「そうでしょうね。」
未来が言うと
「とても懐かしかったですよ。」
俊之は無邪気に言った。
「お母さん。」
千晴が言うと
「はい。」
静江は言って千晴を見た。
「顔色悪いけどどうしたの?」
千晴が静江を覗き込んで言った。
「大丈夫よ。」
静江は言ったが顔色が悪く疲れた顔をしていた。
「風邪気を引いたの?」
千晴が言うと
「そうかも知れないわね。」
静江は言った。たが千晴は風邪ではなかった。静江は今朝になって祖父の夢を見たのだった。祖父は静江が3歳の時に亡くなっているので祖父の顔はよく覚えていないのだが夢に出てきた祖父の顔は鮮明であった。正確に言えば夢では鮮明だったのであるが目が覚めてみると祖父の顔ははっきりと思い出せないのである。不思議な事もあるものである。祖父が怒りの表情で
「静江は自分がした事を解かっているのか?」
と言った。
「解っています。」
静江は言うと
「純一はお前をダメにする男だぞ。」
と祖父は言った。
「どうしておじいさんにそれが解るの?」
静江は言うと
「わしには何でも解るぞ。」
祖父は言った。
「純一さんの事は考えています。」
静江が言うと
「俊之を邪険にする男はわしが許さないぞ!」
と祖父は怒りの声を静江の頭に響かせた。新年早々に見るような良い夢ではなかった。静江にとってはとんでもない初夢であった。
「少し横になったら?」
千晴が優しく言うが
「まだ年始のお客さんの対応があるから大丈夫よ。」
静江は言った。
「それはお父さんにさせればいいのよ」
千晴は言った。
「そうはいかないでしょ?」
静江は言うと。
「お父さんは何もしないし出来ない。」
千晴は言った。