少し前にサロンでバリというアロマトリートメントのキャンペーンをして、その時、ふいにバリの思い出が蘇ってきた。約20年前の2月のバリ旅。
あやふやな記憶を辿る旅の記録ですが、よかったらお付き合いください。
バリ島。
なんて心地のいい響きなんだろう。
裸足で土埃舞う道路を歩く人。
腰にサロンを巻いてゆったりと歩く。
しっとりとした木々、岬にそり立つ寺院。
実際そのうちのどれをリアルに見たのか思い出せない。
ほとんどが雑誌の受け売り。
20代の頃、1回だけ行ったバリ島。
2000年頃は東南アジアの雑貨ブームで
雑誌にはセンスのいい雑貨が並んでいた。
バリ、ベトナム、タイ・・・
それを食い入るようにみつめては、すぐに現地に行けないことに絶望していた。
当時の私ときたら、若さを謳歌するどころか疲れ果てていた。
負のループから抜け出せない日常。
ぶっ倒れでもしない限り取れそうにない有給。
自分がどういう状態がわからないほど、へとへとだった。
誰もが、「親戚の誰々が亡くなって…」または「法事」以外に有給の取り方を知らなかった時代。
それでも、店長がいい人だったからか、2月に4連休を手に入れることができた。
有給を使ったかは謎である。
月6だったか7の休みのうち4日間をぎゅっとくっつけただけだった可能性が高い。
それはそれで地獄を意味する。
そんな状態で行く旅先は、正直どこだってパラダイスだ。
バリ島も、きっと天国だったに違いない。
カラカラで寒い東京から、赤道直下のしっとりとした熱気あふれる国へワープ。
ギャップを求めるなら、2月の東南アジア旅は最高なのだ。
飛行機の中でタートルネックのセーターを脱いで半袖に着替える。
その時のうれしさと言ったら!
ホテルはメリアバリ。
ヌサドゥア地区にある中級の上のリゾートホテルといったところか。
ホテルの中だけで快適に過ごせるように、無数のアクティビティが用意されていた。
バリ料理、ヨガ、アクアビクス、覚えているのはこのくらいだけど。
英語の読解力が壊滅的すぎてわからないことが多かった。
やっと取れた休みで来た一年ぶりの旅。
ホテルでのんびり過ごすなんて、もってのほか!
ホテルから抜け出して、レンタサイクルで汗だくになりながら村を回った。
思ったより人もいなくて、海も思ったほどきれいではなかった。
町スパ、カフェ、買い物、ホテルスパ…。
バリといえばケチャでしょ、とオプションでケチャダンス観光を付けたものの、観光客向け~という感じでがっかり。
神がかった人を期待していたのかもしれない。
案外みんな冷静だった。
ホテル内のスパでの1枚。
貧乏性なのだろう。
何かホテルの無料アクティビティに参加しないと損!とばかりに
最終日、バリ舞踊のレッスンに参加した。
参加者は私たち二人だけ。
思ったより難しくて、イライラした。
できない自分に。
写真があるから、かろうじて記憶がある。
もし、写真がなかったら・・・
バリのことは、ほとんど覚えていないかも。
今だって、思い出せる風景は写真で撮影した風景ばかりだ。
ただ帰国後の不快な出来事は覚えている。
たしか滞在中から、イラついていた。
現地のガイドに!
日本ではありえないなれなれしさが、どうにも気持ち悪くて困った。
とはいえ、ほぼフリーのプランだったので、送迎とオプショナルツアーのケチャだけの付き合いだったはずだが。
帰国して、数日経過した頃だろうか、
家の留守電にメッセージが入っていた。
「こんにちわ。
ガイドの◎◎です。
今度、日本に行きます。
遊びに行っていいですか?」
片言の日本語のメッセージにおののく。
もちろん
NOー!!!
である。
実際は、留守電だったのか、電話に出たらガイドだったのか、そのあたりの記憶は曖昧である。
ただ、連続して電話がきたので、ゾッとして、電話線を抜いた。
家電の必殺技だ。
結局、私はどうしたんだろう?
旅行会社に連絡したのか、放置していたのか…
旅の余韻に浸るどころか、一瞬にして、バリが嫌になった。
バリの人が…
ガイドのやつめ、私の家の電話番号を知っているということは、住所もわかるということか!
と数日は怯えたような気もする。
たった一人のガイドのせいで、バリの人を嫌になるなんて極端な話だが、仕方ない。
彼は本当に日本に来たのだろうか?
今となっては懐かしい思い出。
少し頭をひねらないとガイドのことも思い出せないのだが。
バリの思い出。
今では木製のプレートしか手元に残っていない、かわいいバリ土産と素敵なスパでの体験。
それだけで十分。
wai
またバリのスパに行きたいわ。
解放的でナチュラルな雰囲気がたまらない。