雨の日と月曜日 | 走って転んで泣いた様な話

走って転んで泣いた様な話

アモーレのない日々の話



昨日、カーペンターズの雨の日と月曜日の歌を昨日ずっと考えてた。


調べる中、だいたいが夫婦のストーリーで考察していた。


でも自分が思うにあれは親子の歌なんではないかと私は思う。


誰とも夫婦になった経験はないので、夫婦の考察は自分にはできないが。


そこが親子なら、私にはしっくりする。


月曜日に憂鬱になるのは、やっぱり今週の土日もそうだったってガッカリな気持ちからだ。


親は親なりに子供を愛して、愛するが故に言うことがあるけれどそれは子供にはしっくり来なくて。


親の気持ちもわかるけれどどこかが噛み合わない。


そして帰る場所はそこしかない。


でも何で月曜日なのか?


月曜日だけが憂鬱ではないけど、顔を合わせる時間の長い土日を終えて。


他に行ける場所にもしっくりこなくて、帰るのも億劫になり意味なくブラブラして。


というのが私の考察です。


カレン・カーペンターは摂食障害でのセラピーでは親子関係が背景にあったとウィキには書いてある。