1980年代まで、軽井沢の国道146号線(今は日本ロマンチック街道というらしい)の星野リゾートから鬼押し出し方面に登った左側に西武百貨店軽井沢店があった。かなり昔に取り壊されて、現在はドーミー倶楽部軽井沢というとても素敵なホテルがあるようです。

 

軽井沢店は季節店舗で、6月末から9月末の3ヶ月しか営業しなかった。当時は、百貨店の向かい側にプリンスホテルが経営するテニスコートが有り、スケートセンターホテルとプリンスホテル本館があった。プリンスホテルにはコテージスタイルの宿泊施設と人工スキー場が併設されていた。品のある素敵なホテルだった。近くにはセゾン現代美術館がある。

 

当時車で軽井沢に行くには関越自動車道がトンネル工事中の関係で、前橋から先が開通しておらず、前橋で一般公道に出て、横川を通り、碓氷峠を通って軽井沢に入るという状況だった。カーナビも無い時代、道を知っている先輩にくっついて走って行かないと目的地まで行けない時代。上越新幹線も通っていない時代。

 

勤務する社員は店舗の後ろにある寮に住んでいた。浅間山が噴火する可能性があるので、店舗の事務室には、いざというときの行動について大きな字で書かれた手書きの紙が貼られていた。その隣には「感謝と奉仕」と書かれた文字を挟んで両サイドに堤康次郎と堤清二の写真が飾られている。これは西武百貨店全店全事務所同じだった。

 

売り場は中学校の体育館位の大きさでワンフロアだった。小さい店舗ではあったが、婦人服、婦人雑貨、紳士服、子供服、家具、電気製品、家庭用品、宝飾、無印、スポーツ用品、食品、書籍、文具、レコード、クレジットカードカウンター、美容室があり、立派な百貨店だった。

 

古いが魅力ある店舗だった。そして店舗よりも大きな駐車場が有り、真夏は多くのお客様で賑わった。ほとんどが近郊の別荘地に住むお金持ちの方々だった。家具や電気製品など大きくて高価な物がどんどん売れる店舗だった。社員が別荘まで社用車で運びセットするという外商部のようなサービスを行っていた。

 

毎年マラソン大会を西武スポーツ主催で開催しており、東京からも参加者が集まってきた。

 

今は新幹線に乗れば数十分で軽井沢に到着する時代だが当時は軽井沢は距離も時間も異空間だった。

 

あれから40年。

何もかも便利で合理的で綺麗になった。今、軽井沢に行っている人はどんな人なのだろうか。

ジョンレノンさんとオノヨーコさんが立ち寄ったパン屋さん、喫茶店はまだあるのだろうか、そしてふたりの写真や灰皿やたばこの吸い殻はまだ展示されているのだろうか?