1986年頃から約5年間くらいでしょうか?MacやWindowsパソコンが出てくる前の職場のカオス第1段として「ワードプロセッサーの来襲」があります。いわゆる「ワープロ」という新しいテクノ商品(当時の私の上司曰く)が数年台頭した時期です。

 

当時、日本の主な電機メーカからは「ワープロ」が発売されていました。松下電器(現パナソニック)は「パナワード」、三洋電機は「ワープロ博士」、シャープは「書院」、NECは「文豪」、富士通は「オアシス」、キャノンは「キャノワード」、東芝は「ルポ」ソニーは「HIT BIT ワード(後にプロデュースというシリーズになる)」、他にもミノルタ、ブラザー、エプソン、カシオからも発売していたワープロでしたが、規格が統一されていないので操作のアプローチが全く異なり、互換性がなく(おそらくどこかの時期からはテキストベース変換はあったのかもしれない)

 

私は「パナワード」が出来ても「ルポ」は操作できませんという調子だった。皆リボン式のプリンターが内蔵されており、記録はフロッピーディスク、ソニーの機種だけは2インチの小さなフロッピーだった。今から考えれば日本語が印刷できる電子タイプライターみたいなもの。初期はブラウン管方式のモニターか、液晶は1行程度の小さなモニターだったが、やがて大型液晶の折りたたみタイプが登場し、MacやWindowsパソコンが出てくるまで、職場に文明開化第1段を巻き起こした。

 

当時私の会社では、「書院」が数台配置されていたが、私は出向先で学んだ「パナワード」を個人的に分割払いで購入し持っていた。会社のワープロは教えてくれる人もおらず、取説を見て独りで学習した。会社内ではワープロを個人で購入して学習している社員もぼちぼち出始めていた時期だったが、「やる人」と「やらない人」「やれないから威張るベテラン」に分かれた。そして20代の私にはワープロで文字を作成する作業がどんどん振られ私は文字作成マシーンになる。

 

ちなみにやらない人の言い訳①「こうゆうものは若い人がやるもんだ」②「会社がもっとお金を出して社員に教え、機材も与えることが筋、自分でお金を出すなんて論外だ」③「自分が言うことを速記して文字にしろ、ワープロは作業だ。中身は私が考える。若いうちは先輩の言うことを聞くもんだ」とできないことをすり替えて、威張る。ありがとうも言わないおやじが続出。

 

しかし月日は流れ、やがてWindowsパソコンという第2段階の文明が襲ってくる。これにはメールもインターネットもついて来た。さあ困ったぞ!(写真はイメージです)