昨日ある映画を観ました。始めの想像ではそんなに重くない内容だと思っていたのですが、観終わったあと、、

深く考えさせられました。

色々問題を起こす思春期の少年が、一人の弁護士さんと出会い更生していくのだけど、、

ある日、その世話になっていた弁護士が過つて人を殺めてしまいます。偶然、その場を目撃した少年、、

参考人として、弁護士と少年は警察に事情を聞かれるのだけど、あろうことか、、少年が逮捕されてしまいます

要は
普通に考えても、、

弁護士が人を殺めるとは思えない、、いつも問題ばかりおおこし警察にも補導歴のある彼が疑われれる、、というより、、もう、、決めつけられるのです


どんなに少年が無実を訴えても聞き入れてもらえません

犯人である弁護士との面会では


「誰もあなたの言葉なんか信じないわよ」とつきかえされ

完全に自分の罪を少年になすりつけ逃げました



そして
最後は、少年自ら命を絶ってしまいました、、、


それでも世間は彼の無実を信じなかったのです



冤罪はこうやって生まれるのだな、、



こういうこと、、日常にもあります


わかりやすいのは、学校生活


いつも真面目で成績がよく問題を起こさない子が、いつも問題を起こす子と同じことをしても
スルーされたり、、

案外、、影でずるいことしていても周囲に気が付かれないものです


社会に出てからは、

要領よく、自分の見せ方が上手い人が周囲を取り込み、嘘ハッタリをしても、、、気が付かれない

むしろ、

あの人に限って、、と、擁護されたりします


選挙を見ていても、、

まともな政策を話してる人より

やたら、、声が、デカいだけの人が当選したりして、、

当選後も、、声だけデカい、、のに、、人から支持されていたりします

そして
政策の失敗は、、デカい声にかき消されていきます



ネットの世界は特に、、

顔が見えないだけに

無責任でいられるし、


数字だけが独り歩きしてる気がします





真実、、とか、正義、、って

なんだろうか、、と、考えさせられました




前記事で、ある方から付きまとわれて困ってると書きました

コメント欄を削除してからは
それでもなお、、いいね、で、追いかけてきます

ブログを引っ越しても、、
何をしても、追いかけられるので

私がやめないと終わらないようです



どんな風に誘われて、こちらに来られてるのかわかりませんけど

ご自分を生きてくださいませ、、





















環境は自分で選べる