ブログ卒業を決めてから、

ああ、、あれも言いたかった、コレも言いたかった、、ということが思い浮かんできて


もともとは自分の日常で思うことや、

人が聞けばなんでもないことだけどその時々で沸き起こった気持ちを、日記のように、、ただ、自分の思いを吐き出す場として書きつづけて来たので、卒業するからといって、何がどうだということではないのだけど、、


私はどちらかと言うと書くことで気持ちを表現することが好きで、

あまり人と対面で話す時に本音が出るかというとそうではない気がするのです

場の空気を読む、、というのか


でも、個人的にはその時々でいろんなことを考えたり感じたりしていて、

それを吐き出すところが欲しくて、プログに書き上げてきました

元来、人と群れることは好きではなく、誰かに話す事はめったにありません


だから、、多分、、ここに書いてることは

私の中の本音の部分なのだと思います


それでも書けないことはたくさんあって、

本当は書きたくても、、


コレ、、書いたら、、??

と、いうこともあります

特に
歴史的なことは葬られるものなので。


たくさんの毒舌も吐いてきたけど、

私なりにはオブラートに包んでいたのです


最後に、、何が言いたいか、、と、考えてみたところ、、

一つに絞ってみました


時々聞かれることで

自分はなんのために生きてるかわからない、

とか、

自分の才能を知って活かしたい

とか、

もっと、、〇〇になりたいのだけど

というものです


私も若い頃はたくさん悩んだので

その気持ちがよくわかります



そんな事を考えていると思い出すことがいくつかあって書きたくなりました


大学生の頃に、あるコミュニティーの活動の中で
経験したことです

ある方とお会いできる機会が訪れました

その方は、80代のおじいちゃまで、、

その昔大きく活躍され教科書にも載っていた方でしたから、私が小学生の頃からお名前を知っていました

私の中では英雄そのもので、憧れでした


そんな方とお会いできてお世話できることを光栄に思い、ドキドキが止まらなかったのを憶えています


そして、、お会いできたその日、、

やってこられた方は、、

ごく普通の、、おじいちゃま、、

というより、、

お世話をして差し上げるのだけど、、

アレが嫌だ、、コレが違う、、と、

ワガママを言う、、困ったおっちゃん、、びっくり

お世話してるうちに、その方がヒーローだったことを忘れ、まるで親戚のワガママなおじ様のお相手をするような気持ちで接するようになっていました

何が言いたいかというと、

その方は、ご自分が教科書に載るほどの過去の栄光になんのこだわりもプライドもなく、

ご自身がやられたことは、ご自分がやりたかったから、ただ、やっただけ、

世間がどう評価しているかは、

全く意に介していないのでした


だから、、なに、、??、、って感じ


その他にも芸術方面で活躍されてる方ともお会いしたことがありますが、

みなさん、共通していたように思います


はっきり言うと、、

変人、、と言えば、、変人、、なのだけど


ご本人たちは、、

ただ、

やりたいからやってるだけ


そこに、コレだけは譲れない何かを持っていて

そこだけは譲らない


それが一見、、ワガママに見えるのだけど

人から見てワガママと受け取られると思っていないというか、、

御本人たちはどうでもいいのでした


それが世間にどう評価されようと


ただ、、ご自分を生きておられるのです




幸せとは、、何だろうか、と考えます


私の祖母までの時代は(韓国では)

女が勉強なんてとんでもないことで

学校に行くことすら許されず、ほとんどの人が字が読めませんでした

なのに、、

なんでも知っていました


風の流れで明日の天気を知っていたり、

家族の具合が悪いと、裏山に行っては必要な薬草を採ってきて煎じてくれます

カレンダーが読めないのに

そろそろ〇〇の命日だと言ったり、

時計が読めないのに

夕方に一本しかない市営バスの時刻にバス停に向かったりしていました

以前ブログに書いたように当時はインフラがしっかりなく、何もかもない、

島全体がほぼ自給自足で成り立っていて、不便でしかない

ので、

年老いていく祖母を心配して、父が日本に呼び寄せ、父ができる最高のものを用意してあげるのだけど、数ヶ月ももたず、帰りたいと言って、帰っていくのでした

私には祖母たちが見てる世界がわかりませんでした

字が読めない時点でわからない、、


読書が好きな私に、その楽しみがなく一生終えるなんて考えられなかったのです


なのに、、祖母たちはいつも幸せそうでした

みなさん農家なので、朝は早く起きて畑に行きます

途中で一度帰って来る6時ぐらいに、まだ寝ている
私を

もう、、お昼だよ、、と言って、起こすのでした

家族の朝食を作ってから、また、畑に行きます


そこでのご近所さんたちとの井戸端会議が何より楽しい時間だったようです


日が暮れると寝る、、という生活

なのに、、日本での暮らしより戻りたいという祖母、、



祖母たちは
難しいこともわからなかったし、知識もなかったけど、、

どんなことがあっても生きる強さと

人生を楽しむことを知っていました


多分、自分がなんのために生きてるかなんて考えたりすることもなかっただろうし、

自分の才能は?、、などと、思ってもいなかったと思います

このタイミングで
なぜ、こんなことを思い出したのかわからないけど、、

私達は
ネットの普及によりたくさんの情報に溢れ

数字でいろんなことが評価されるようになったことで、、

便利になった恩恵もあるけど

苦しくなったところもあるのかな、と、思いました


本来、

何か多くを望まなくても

ただ自分を生きることが人生の意味で目的なのではないか


と、思ったのです


静かに一人で過ごす静寂の中に

幸せはあるのかもしれません