豊浜トンネルは国道229号線、北海道後志管内の余市町と古平町を結ぶトンネル。1996年(平成8年)2月10日午前8時10分頃古平町側の坑口付近大規模な岩盤崩落事故が発生しました。この事故により路線バスを含む3台の自動車が崩落岩盤の下敷きになり20名の方が亡くなりました。

 

 

旧豊浜トンネル古平側坑口の崩落事故現場。落石防護のために作られたトンネルの巻出し部に推定重量27000トンの岩石が直撃しました。白く小さく見えるのは事故の後に作られた観音像です。今は緑に覆われている斜面が発破により粉砕された崩落した岩石です。

この事故のことはテレビで連日放送されていました。当時のことはよく覚えています。テレビの放送や新聞を見る限りでは、いくつかの問題と不手際をさらけ出した事故と云えるでしょう。

 

問題その1・・・事故の当日、早朝崩落前のトンネルを通過した車両が、古平側の坑口付近で、トンネル内コンクリート破片のような落下物を発見。目撃者は近くの交番に知らせると「それは警察の管轄ではない。知らせるなら開建(北海道開局)にしろ!!」と冷たくあしらった。目撃者は北海道開発局への連絡方法が分からず、放置したため犠牲者が出てしまった。警察官が適切な対応をしていればまた別な結果になったかもしれません。

 

問題その2・・・生存者が未確認の状態での発破による岩石の除去作業。

 

問題その3・・・岩盤除去のため北海道大学教授の指示のもと発破作業を開始。本来は1回で除去作業が終了するはずが、作業は難航し合計4回の発破作業を行ったのでした。この時、大学教授の言っていることは「机上の空論に過ぎない!」、また「学問と現実は違う!!」などと散々たたかれたものでした。しかし後のテレビ放送では、業者による発破作業は7割のダイナマイトしか爆発しなかったことが判明。本来ダイナマイトは上から下に向かって設置していくようですが、その業者は逆の下から上に向かって設置したため、作業員が降りてくるときに、雷管のコードを踏んでしまい不発になってしまったようです。

 

 

事故から30年近く経ちます。坑口から伸びる道路はもう自然に帰ろうとしています。自動車はおろか徒歩でも崩落事故現場には辿り着けません。

 

 

覆道もいつ落石事故があっても不思議ではない危険な道路であった事が分かります。

 

 

手前の奇岩セタカムイ岩と断崖絶壁の海岸線。

 

 

上空から撮影したセタカムイ岩。セタカムイとはアイヌ語で「犬の神」を意味します。確かにこの角度から見ると犬が遠吠えしている姿に見えますね。