函館山の麓にある高さ約6メートルの巨大な石碑。戊辰戦争おもに最後の戦いになった箱館戦争における旧幕府軍の戦没者の慰霊碑。土方歳三や中島三郎助、伊庭八郎など約1000人の戦死者を弔っています。

 

 

石碑の名である「碧血」由来は「義を貫て死んだ武人の血は地中で三年経つと碧玉に化する」という中国の故事から採られたもの。

 
 
碑文は元幕臣で明治政府で外交官を務めた大鳥圭介のものと云われています。
 
 
別なアングルから撮影。かなり大きな石碑であることが分かりますね。石碑に使われた石は伊豆から船で運んだといわれています。
 
 
戊辰戦争の終結は1869年(明治2年)6月27日。それから僅か6年後の1875年(明治8年)5月に「碧血碑」が建立されたとはビックリ!!びっくり戊辰戦争から50年以上経った1928年(昭和3年)に当時「毎日新聞」の記者だった子母澤寛が新選組を題材に処女作「新選組 始末記」(何度か映像化されており1977年に草刈正雄が沖田総司を演じたテレビ時代劇もその一つです。思い出す方もいるはず・・・)を出版する際には同僚の記者たちが「新選組など錦の御旗に刃を向けた逆賊ではないか!!やめたほうがいい」と忠告する者もいたと云われています。尚、子母澤寛は北海道厚田村(現 石狩市)の出身、父親は幕臣で彰義隊に参加し箱館戦争に敗れて捕縛、後に釈放され厚田村でニシン漁の網元をしていました。明治の初期、北海道の入植者は反維新政府の立場だった奥羽越列藩同盟諸藩の人たちが多かったと聞いています。北海道だから建立が出来たのかもしれません。
 
 
碧血碑の周りは杉の木で覆われていました。
 
 
ヤッパリ函館は雪も少ないし暖かいね!!
 
 
石碑に至る山道からは津軽海峡を望めます。