常紋トンネルはJR北海道石北本線にある鉄道トンネル。北海道常呂郡と紋別郡の堺にあるためその名称があります。常紋信号場は常紋トンネルの留辺蘂側にあった信号場で現在は廃止されています。

 

 

国道242号線の脇には常紋方面入口の看板があります。この看板のある交差点から約4キロで常紋信号場です。

 

 

道はダートですが普通乗用車でも通行が可能です。上記画像の右側を下ると常紋信号場ですがバリケードがある為、車はここでストップです。歩いて目的地に向かいます。

 

 

車を停めた場所から歩いて3分ほどで常紋信号場に到着しました。撮影機材とスノーシェルター一緒に1枚。常紋信号場は戦後まもなく仮乗降場として一般旅客も取り扱ったようですが、1975年(昭和50年)頃に旅客の扱いを終了しました。そして2017年(平成29年)3月4日には信号場としても廃止されました。

 

 

1970年代には運用終了が近づいた蒸気機関車を撮影するため多くの鉄道ファンが訪れたという。

 

 

ヒグマには要注意です。爆竹とヒグマ撃退スプレーは必需品ですね!!

 

 

側線は3本あったようですが右側の側線は撤去されていました。分岐部分はスノーシェルターに覆われています。

 

 

スノーシェルターの内部から下り北見・網走方面を撮影。

 

 

本線も側線よりは短いですがスノーシェルターに覆われていました。

 

 

スノーシェルターを抜けると常紋トンネル留辺蘂側坑口です。

 

 

1914年(大正3年)に開通したこのトンネルは凄惨なタコ部屋労働によって建設されたことでも有名。現実とは違う甘い労働条件を提示され、騙して本州から集められた「タコ」と呼ばれる労働者は、質素な食事と過酷な労働から工事完了までの間に100人以上の死者を出したという。トンネル周辺の山林では今まで50人以上の人骨が発見されており、トンネル内でも改修工事中に、壁面から頭蓋骨に損傷のある立ったままの人骨が発見されました。これは日本で唯一、人柱の事例です。

 

 

スノーシェルター周りは雑草が刈られていました。奥には家屋が見えます。

 

 

国鉄時代には常紋信号場には職員が常駐していました。この家屋はかなり古く、スノーシェルターが作られる前に、側線に待機している蒸気機関車と一緒に写っているモノクロ写真があります。当然ですが今は廃屋となっています。尚、余談ですが国鉄時代に常駐していた職員には多くの心霊体験をしノイローゼを発症させた人もいると云われています。そのためなのか1980年(昭和55年)には石北本線を見下ろすことが出来る金華小学校跡地の高台に「常紋トンネル工事殉難者追悼碑」が建てられました。

 

 

登り遠軽方面を撮影。スノーシェルター内の側線の線路は全て撤去されていました。

 

 

本線のスノーシェルター登り遠軽方面。スノーシェルターの出口に常紋トンネルが見えます。

 

 

上空から撮影してみました。尾根の向こうは遠軽町生田原。

 

 

常紋信号場スノーシェルターの青い屋根と常紋トンネル留辺蘂側坑口。かつては本線と側線が坑口付近でクロスしていたと思われます。

 

 

常紋信号場全景。このアングルではスイッチバック方式の配線が分かりますね。

 

 

下り北見・網走方面。金華信号場から常紋トンネルに向かい25‰の急こう配を列車が上がってくるのです。重量のある貨物列車は前後に機関車を連結するプッシュプル運転をしなければならない難所でもあります。