次の日、葬儀に来れなかった父が
郁に手を合わせたいとの事だったが
我が家に来ると私が片付けやなんやで大変だからと気を使ってくれて、
私達が郁人を連れて実家へ。
母が夕飯も豪勢に準備してくれていた。
入院やらなんやらで、まともな物、
旦那と長女に食べさせてなかったから、
すごく助かった。
お持ち帰り様のおかずやら何やらまで
頂いてしまった。
母も仕事を休んでは出て、
長女の面倒を見るのに随分ハードなスケジュールだったはずなのに。
父は男だから私の気持ちが全て理解するのは難しいから、下手に慰めの言葉等は言わなかった。
昔から、そういう人だった。
気持ちはあるのに、
相手を傷つけるのが怖いから、
何も言えなくなる。
そっくりそのまま遺伝してしまった私だから
尚更父の歯がゆさが解る。
代わりに大変だったな、辛かったな、と
旦那に労いの言葉をかける。
内容は割愛するけどそこから夫婦喧嘩。
火葬の日の喧嘩はまだ尾を引いたままだった。
『今日は郁人の為に、喧嘩は、…な?』
と父が宥めるけど
『そうだよ、場を考えなよ』
その旦那の言葉に爆発。
誰がこないにさせとんじゃ!!
旦那の名誉の為に内容は割愛するけど、
お、ま、え、が、原因じゃダボが!!
おまえが言うな‼︎
喧嘩の内容を知っていた母は俯いたまま。
解ってる、郁人を惜しむ為の集まりなのに、
わたし母親なのに、
わたしがしっかりしなきゃなのに、
郁人が今でも好きだからこそ
許せなかった。
どうしてもどうしても許せなかった。
でも、勝手だけど
わたしが悪者みたいになって
子どもじゃないけど
悲しくて、だけど親の前でなんて
泣きたくなくて、
仏壇にいた郁人を抱き抱えて、実家から逃走。
夜の川沿いを鼻水垂らしながら
忍びの様に駆け抜けていたおばさんは私です。
夜桜を見納めていた方すみません。
小脇に抱えていたのは骨壷です。
わたしはどこに行こうと
してるんだろう。
このまま川に飛び込めば
郁人のとこにいける?
走りながら骨盤が痛む。
ああちゃんと郁人を産んだんだわたし。
郁人はここにいたんだ、確かに。
戸籍には残らないけど
わたしの身体にまだ残ってる。
悲しいのに嬉しい。
嬉しいの悲しい。
実家から我が家まで車で5分〜10分。
裏道を使ったけど、すぐに旦那に追いつかれた。
産後のホルモンバランスを崩したメンヘラは
無事保護されました。
自宅についても骨壷を抱いて布団に潜り込んだ。
多分ずっと、
声を出して泣くなんてしなかったから
枕に顔押し付けながら泣いた。
『旦那キライー!』
『郁人、スキー!』
『長女、スキー!』
『旦那なんかキライー!』
旦那がティッシュを差し出そうものなら
鼻をかむだけかんで、ゴミを投げつけた。
旦那は終始『俺が悪かったです、すいません』
しか言わなかった。
それがまた事務的でわたし泣き叫ぶ。
すんごい疲れた日だった。
(主に旦那)