恐怖の内診(産後検診)を受け
退院が決まると、
そこからは早かった。


実家に長女を預けた旦那が来て
退院受付して
その間に産科さんに挨拶して
荷物と郁人のいる棺を抱いて
産科さんにお別れ。


ナースステーションにいる限りの
助産師さんや看護師さんが出て来て
すっごい深くまで頭を下げられてしまった。

誰も悪くない、

私はありがとうの気持ちで一杯だった。


B産婦人科の件があったから
余計そう感じたのかもだけど、

助産師さん、看護師さん、
みんながとても親身で親切で。


自分を責める私を慰めてくれた、
恐怖に震える私の背中を撫でてくれた、
ラミナリアで叫ぶ私の手を握っていてくれた、
陣痛から出産まで、
郁人を最優先に考えてくれた。


わざわざ郁人の顔を見に来てくれた。
一緒に泣いてくれた。
他の子と変わらず撫でてくれた。



本当にこの病院で

郁人を迎えられて

本当に良かった。

上手く伝えられなくて

情けないけど。

ありがとうが止まない。





棺の上からアンパンマンの
おくるみを巻いてあげた。

お陰様で病院をあるいてても
変な目で見られることはなかった。


きっと今すれ違った人は
重い病氣なのかもしれない。

あそこにいるあの人は
重篤な方のお見舞いかもしれない。

わたしの知らない、それぞれの。



解ってるけど、解ってたけど、

郁人がこんなに悲しく産まれて
息を引き取ったのに、

世界は回ってる。
世の中は動いてる。

郁人が生まれる前と、生まれた後
何も変わらずに回ってる。

きっと、
何か変わっててもわたしは気づかない。

他の人にとっても
わたし達がそれなんだろう。




当たり前なんだろうけど、

世界の広さと

人間1人の存在の軽さを

考えてしまった。



そして駐車場で、
わたしが乗りやすい位置まで
旦那が車を動かしてる間。

3日ぶりだからか?
やけに空が青く見えて、
春からすっかり夏の準備が始まってて、
蜃気楼まで出てた。

太陽の光が向こう道路の雑木林に当たって
すっごくキラキラして見えて
葉っぱ一枚一枚がキラキラ光って、

ああ、長女の手を引いて
郁人をベビーカーに乗せて
お散歩してたら一緒に見えたのかな、とか
考えたら


涙が、止まらなくて。



一緒に見たかった、
見せてあげたかった、色んなもの。

それを横で見ていたかった。

叶わない、叶わない、叶わない。



車に乗り込んでもしばらく
しゃくりあげながら泣いてしまった。

旦那は黙って手をつないでてくれた。