5月17日にパパの実家に行き、義母とお墓まいりをした。手渡し予定の満中陰志を受け取り、ちょっと言い争いになっていた。
それから連絡も訪問もしていない。

子どもたちの携帯も、名義変更が済んでいないため繋がらない。義父母は携帯番号を知っているが、繋がらないだろう。


義実家の両親は、夫の子ども4人を大切に思ってくれていて、これからの経済的な事、保障などのことなど慮ってくださっている。


私は夫が亡くなってから、手続きや、真言宗であることもあり、毎日の様に義実家に通った。頭を下げて手伝ってもらったり、親戚の厳しい正論も受け止めた。


私の姿、私達のこれからを偲んで、思い遣ってくださったり、優しくしてくださる人も現れたりした。

夫の恩恵だと感謝した。


やっと、書類、法事が落ち着いた頃、義妹の旦那様が、3年の闘病生活の末大腸癌で亡くなった。


私達どころではなくなった。一番顕著にあからさまに変わったのは、義母だ。しょんぼりしていたのに、鬼の様に興奮して、言いたいことを言う様になった。


亡くなった当日、早朝5時に義母から電話があり、私は遺体のある葬儀場に呼ばれた。お手伝いだ。

義妹、発達障害の21歳の息子、お姑さん、義母、葬儀場の方が和机の周りに座っていた。

その時から、義母の顔は鬼だった。
遅かったね、と言われた。

義妹とお姑さんもいろいろあるが、黙って、無言の冷戦だりする。

お姑さんは、何もしない人らしい。
葬儀も全部義妹1人で取り仕切る。

義母は娘可愛さで、旦那様が亡くなった途端、隠していた敵意をさらけ出したのだ。凄い形相が物語る。


家族葬であり、香典も受け取らないとの事だったが、お見舞いに行けなかったし、直前に香典もいただいている。私なりに考えて、葬儀にお花を供え、台湾から帰国している20歳の娘に、お小遣いとしていただいた香典と同じ額を包んだ。義母に渡すと、少し遠慮したが受け取った。娘が可愛いのだ。私の両親、妹、弟の香典は受け取らなかった。発達障害の息子の代になり、お付き合いができないからだ。


その日が、5月9日。
お墓まいりに行ったのは5月17日。

その間、ほとんど毎日義実家に通った。

夫の車の売却だ。車屋さんは相続は私でも義父でもいいと話され、義父が相続し、代理売却することになっていた。書類を作成し陸運局に行くと、やはり第1相続人の私でなければいけないらしい。
戸籍謄本などを取りに行き、持参。
何故か車屋さんは私に冷ややか。何故かわからず、心が折れ、頭を下げて義父に付き添ってもらう。
その後、書類の不備、実印の押印間違いなど計4回やり直し。びっくりする。プロなのかな?

17日は、最後に車屋さんに行き、満中陰志を受け取り帰るだけだった。お昼は、義父母とのんびり食べ、遺影の前で話した。

義父が仕事に出かけ、義母と2人になった。

義母は夫の自慢話をずっとしていた。実の息子である、分からなくない。でも、話の端々に息子はすごいのにあなたはと言わんばかり。私の心にも限界がある、義妹の旦那様が亡くなってからずっとだから。


〝もうこれから、息子を褒めてくれる人ばかりだから安泰だ〟

と義母が言った。

咄嗟に私の口から、

〝分かりませんよ。いろんなことがあるかもしれませんよ〟

と言う言葉が出た。

〝まあ、恐ろしい〟
鬼だった。睨んでいた。

私は、我慢できなかった。


〝妹に相談していますが、色々あります〟

〝まあ、妹さんに悪口言っているの?〟


悪口?何故そうなるのだろうか?


〝帰ります〟

黙って帰った。

パパには、私達5人と妹しか知らない、義実家が知らない秘密がある。
話せない。
今は話せない。

唇を噛んで家路に向かう。

口は悪いが、心ある人たちだ。
婚いで19年。

今いろんなことがありすぎて、皆自分を失っている。

勿論息子、娘たちも。

私も。

いつまでか分からないが、義実家とは距離を置いている。
このまま他人になるのだろうか。