同じテーマで書いて早や4カ月になるがーーー。

窓越しに見える袴腰山の山並みは白く霞んでいる。

うす雪の舞う庭木の幹はうっすらと雪が積もる。

 

わが身を振り替えると、丹波地方を18歳で出て、下宿・アパートの一人暮らし、サラリーマンとなり28歳で結婚。宇治橋の500㍍下流の住宅地に家を建てる。

その後、当時の住宅事情や公的な住宅融資にも恵まれ、また父から援助を受けるという幸運にも恵まれた。三人の子供も産まれ育った地に10年。 その後大津が出生地で社会人になるまで育った地域事情に詳しかった妻の希望にもそってこの地に住宅を構えた。..

それから50有余年を経過した、

家族も増え,孫6名 ひ孫3名 子供の夫婦 孫の夫婦など賑やかな楽しい家族に増えた。

優しい男の子で、女性はしっかりもののように思う。若さで力を合わせて懸命に生きている様子はほほえましく嬉しい。

 

我が家の今は亡き両親の書・絵画に触れる。

床の間には私の父親の油絵(鞍馬の火祭)と書(100字ほどの漢詩・綾部市展に出展と聞く)。さらにその左に岳父の書(般若心経)を飾っている。

二人とも明治終わりの生まれ。現役時代、書画に力をかけることはできなかったはずだと思う。今も残るペンや筆の字は見事なほどであり明治人の矜持を垣間見ることが出来る。

 

 

 

 

                        父が好んだロダンの考える人