楽しく庭仕事をする日々が、
とうとう雪で強制終了されてしまいました。ヾ(@^(∞)^@)ノ
朝の光で目を覚ましていたので秋から自然に朝寝坊になり、
仕事から帰ったら暗くなるまで庭に出ていて、
家に入ったら眠くなるという毎日を過ごしていました。
その間にも、ずっと考え続けていました。
私には何ができるんだろう。
自分のモラハラ経験は、
どうやったら生かせるのだろう。
今苦しい人が、どうやったら
それをギフトに変えられるのだろう。
できれば、私のように自分を殺して共存し、
脱出してからギフトに変えるよりも、
せっかく共存を選ぶのならば
共存中にギフトに変える方法はないものか。
「自分がこう変わればラブラブになる」
のではなくて、
(それを目標にするのではなくて)
相手の問題はとりあえず置いておいて、
自分が自分の問題をギフトに変えられれば
相手がどう変わろうと変わるまいと関係ないはず、
だけど恐怖の生活を送っている渦中で、
そんなことがどうしたらできるのだろうか。
そして、まだ答えは出ていません。
今日、ブログに書こうと思ったのは、
私の今日の気づき。
私はインナーチャイルドというものをどうしても感じることがなく、
それは私がチャイルドを中に押し込めていない、
母への憎しみを子どもの頃からあからさまに持ち続けている
そのまんまチャイルドだからだと思っていましたが、
どうやらそうではなくて、
5歳くらいの小さいときに言葉によって閉じ込めたからなのではないか
ということに、
小さい頃の記憶とともに、気づきました。
私はそのときの記憶を、これまでも全然忘れていませんでした。
私は、母にされたことを忘れることによって閉じ込めてはいなくて、
理屈に変換することを小さい頃に覚えてしまったのですね。
だから、覚えていて母を憎んでいますが、
憎んでいるように見えるけれどもそれは感情ではなくて、
「母はこのように間違っている」という批判なのですね。
忘却ではなく理屈で重石をしているので、記憶があって
自分はこのように間違った態度を取られたと批判ができていて、
それでいて感情=チャイルドは出てこられないのですね。
批判ではなくて、
悲しかった、さびしかった、気づいて欲しかった、
という感情があったはずなのですが、
愛を求めること=甘えること=赤ちゃんで恥ずかしいこと
という教えが小さい頃からあり、
この壁を越えられません。
この壁の向こうにきっとチャイルドはいるんですね。
おーーーーーい。
聞こえるかーい。
居場所はわかったよ、とりあえず。
壁の存在もわかったし。
「小さいちゃん」待っててねーーーーーー。
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