息子は、嫌いな食材だけを上手く避けて
それだけ皿に残す事や
飲み物を飲む時にこぼれるのを気にしてか
毎回コップをペロッと舐める癖があって

こういったことがちょこちょこあるので

「今はかわいい笑い話で済むけども

おっさんになってもやってたらきもいので

そのうち直しなよ」と都度警告している。


ちょっと危機感を持つような言葉を混ぜて

あくまで命令口調ではなく

本人が自分で決めてやるように促すのが

ポイントだと思っている。

実際に私が言った時の息子の反応が

あ、自分って人からそう見えてるんだ…

というような、ちょっと考え込んだような

顔をしているので、効いている気はする。


私自身が子供の頃から

自分で納得して自分で決めてやるのが

好きだったので、それが今の子育てに

反映されていると思う。

頭ごなしに理由も分からずに命令されるのが

本当に嫌だったのだ。


そろばんも習字も、逆上がりも一輪車も、

箸の持ち方も字を綺麗に書く事も、その他諸々

自分自身が出来るようになりたいと思って

出来た時の自分を想像して訓練した。

(もちろんそれらができる環境を与えてくれた

親がいたお陰なのでそれは感謝しかない。)

基本的にだらだら生きているが

火が着いたら人知れず取り組む人間なのだ。


「これは何のためにやるのだろう」

と疑問に感じたり

単純に楽しくないと思う事は本当に苦痛だ。


3歳の私が思っていた記憶を書き出してみる。

幼稚園に通い始めた時、

今まで毎日家で家族と過ごしていたのに突然

どうしてわざわざみんなで毎日集まって

こういう事をやるのかと漠然と疑問を持っていて

無邪気に笑っている子たちを見て理解出来ず

不思議に感じていた。

理解できないことだらけで、ほとんどの時を

真顔で過ごしていた子供だったと思う。

年少の頃、しょっちゅう教室を抜け出して

年中の姉の所に行っていた。

(姉はそれがすごく嫌だったらしい。)

大人しいけど、時々突然消える子供だった。

幼稚園の途中から

よく分からないが楽しめば良いんだな、というか

そうしていれば周りとなじめるなと思って

意識して楽しむようにしていた気がする。


多分それ以降は諸々の事柄を

この現代社会に人間として生きるためには

こうするのが正しいのだと理解した気がする。


それでも理解ができない事ややりたくない事は

たくさんあってストレスがすごかったと思う。


よく親から「何を考えているか分からない」と

言われて育った。

それは無理もない、だって私が私以外の事を

全てよく分かっていなかったのだから。


そんなこんなで大人になった。

来月には30代最後の歳になる。


今でもあらゆる事柄を

自分で納得して取り組むようにしている。

その方が何事もしっくりくる感じなのだ。


また、苦痛だし疲れるけどこの先には得るもの

があると確信できる事は自分から参加している。

そして、楽しむ事を忘れないようにしている。

「どうせやるなら楽しく」というやつだ。


話が曲がり道に入りそうなのと

長くなってきたので

続きは違うタイトルで書きます。