佐賀県は遊郭が多く形成されていたようだ。戦争による被害も少なく、今でも往時の妓楼が数多く残っている。全国遊廓案内(日本遊覧社、1905年発行)によると、県内には佐賀遊郭、東川副村諸富遊郭、住ノ江町遊郭、唐津町蕩島遊郭、佐志村遊郭、呼子町遊郭、武雄町温泉遊郭、伊万里町遊郭など七つの花街が存在していたと記録されている。今回は現在の唐津市本町、木綿町に開かれていたとされる蕩島遊廓と呼子の呼子町遊廓跡を訪ねた。

<唐津町蕩島遊廓>
 本町、木綿地区は明治期、石炭の積み出し港で栄えた。石炭輸送が船から鉄道に変わると、唐津城や虹の松原など風光明媚な場所も多いことから観光客も増え、にぎわったという。

 蕩島遊郭は8軒の妓楼と約80人の娼妓で栄えた。一人一客の「通し花」制で、娼妓が同時に複数の客を取り、部屋を渡り歩く「廻し花」制ではなかったと記されている。1時間で約1円(現代の5千~1万円)、食事・酒など飲み物代込みの1泊は6円50銭とやや高めだったようだ。

 地元の人に聞くと、元妓楼やカフエーはここ数年で倒壊の危険度が高まり、木綿町の現理容店付近の建物は取り壊されたようだ。ただ、路地などはそのままのためか、他の地区とは違う独特の空気感が漂っていた。
{0643973B-B0F1-4421-BFC9-EE155B0EA9F8:01}