ところで「飯盛女(めしもりおんな)」をご存じだろうか。

    時は江戸時代。男たちの旅は、参拝の後の遊廓だけでなく、泊まる旅籠(旅館)にも楽しみがあった。地魚や野菜などで作る名物料理や酒のほか「飯盛女」が目当てだったと古い文献に残っている。

 彼女らの多くは、近隣の村々の農家や街道筋の宿場町出身の娘たち。元々は客の食事や寝具の世話をしていたが、やがて求めに応じて春を売りはじめ、だんだん遊女化していったとされている。 

 宿の繁栄は飯盛女によるところが大きかったようで、幕府から何度も禁止令が出ても無くならなかった。結局、1740年には旅籠一軒につき二人までということで許されたが、この人数も守られることはなく、大勢の飯盛女が旅籠に在籍していたといわれている。

 1789年の「奉公人請状之事」に「年貢に差し詰まり娘を飯盛奉公に差し出す。今年で11歳、年季は12年と決め、只今御給金1両2分確かに受け取り、御年貢を上納」という証文が残っている。
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