20240113(何やらややこしい御天気の土曜日),

10時頃までは穏やかな快晴でしたが、徐々に風が・・・真顔

で、

そそくさと出発びっくりして「夢殿」近くで駐輪場(こそっと)探すも一寸気が引けて、昨日と同じ法隆寺の南大門に停めさせて頂きました。

 

さぁ久々の「夢殿」何年振りかなびっくり30年は来てないかもおねがいおねがいびっくり

しょっちゅう前の道路は通っていますが拝観はお久ニコニコ

 

この「夢殿」は法隆寺の「東院伽藍」となりますのであの「聖徳太子講員証」で拝観できました。

此方も一部の建物を改修工事中で何やらザワザワ。。。

 

法隆寺東院の正堂で八角円堂

伽藍(がらん)創立時の創建で,しばしば修理され1230年大修理があったが,屋上の宝珠露盤などに天平の面影を残す。

聖徳太子が《法華義疏》等の作成中,夢に金人(きんじん)が現れて教示を受けたという伝説から,斑鳩(いかるが)宮の太子の居室の跡と伝えるこの堂に夢殿の名がついた。

(無断使用スミマセン)

 

散策を終え、次はお隣さんの「中宮寺」へニコニコニコニコニコニコ

(拝観料が600円でした)

 

1400年続く、

聖徳太子とその母・穴穂部間人皇后ゆかりの尼寺なのです、

穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ聖徳太子の生母として知られる。

 

中宮寺は飛鳥時代、現在地より約500m東方に創建されました。

旧地の発掘調査で四天王寺式伽藍配置であったと判明。若草伽藍と同笵の瓦も出土し、法隆寺と中宮寺は僧寺・尼寺の関係にあったと考えられます。国宝菩薩半跏像(伝如意輪観音)は金堂の本尊で、天寿国曼荼羅繍帳(てんじゅこくまんだらしゅうちょう)は講堂本尊背面に奉安されていたと伝わります。

(無断使用スミマセン)

 

【写真】

 

 

 

 

 

 

この参道の「ズレ」の意味は・・・真顔(東方向を見ています)

以前勉強し理解できましたが・・・忘れた照れ

 

若干斜めに見ると正面が「夢殿」です。

 

 

 

 

ありゃま、風雨にあらわれ・・・。

 

 

大丈夫かいな・・・真顔

文化財故、簡単には修復できないでしょうね・・・ショボーン

 

右手前にトイレが・・・昔?在ったかな?

 

「夢殿」「中宮寺」共通の出入口です。

 

この方向は北向きです。

 

 

 

現存する「中宮寺」本堂は1968年再建の、鉄筋コンクリート製の耐震耐火建築物です。

 

此処が「夢殿」です。

 

 

像高179㎝で聖徳太子の等身像の「救世観音像」です。

聖徳太子って大柄?てな事になっております。🤪

 

 

 

 

昔?この桜と絡めて撮ったのを覚えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全くもって解読出来ず😵‍💫

こう言うのを見るとめっちゃ減滅しますね〜

一般家庭なら読めない表札です😭😭😨


 

 

 

 

 

 

 

 

此れが今の「中宮寺」なのですが・・・、これがお寺びっくりびっくり爆  笑ですかショボーン

ですよね・・・。

創建年は不明ですが推定⇒推古15年の607年。

改修⇒1274年、文永11年鎌倉時代中期。

改修⇒1602年、慶長7年江戸時代初頭。

大規模改築⇒1968年、昭和43年

私よりずゥ~と若いですおねがいおねがいびっくり

私が幼いころ?めっちゃ綺麗な尼さんを法隆寺駅でよく見掛けましたよおねがいおねがいチョキ

 

中宮寺の「弥勒菩薩」に似たすらっと背が高い綺麗な方で、

魅惑の笑みをたたえた「アルカイックスマイル」っぽい尼さんでした。

当時で50歳くらい?だったかな。。。

 

 

 

 門跡寺院らしい優雅さと、尼寺らしいつつましやかさを備えた本堂となっています。

以前来た時は、「やまぶき」が沢山咲いていました。


皇族縁の尼寺故、立派な「菊の御紋」でしょ真顔

 

 

 

 

さぁお腹が空いたので「王将参り」に・・・照れ

 

寒い時は「あんかけ」の「中華丼」です。

 

 

早く帰らないと凄い曇天に・・・・雨雨雨真顔

 

【走行経路】

 

 

 

                    ―お疲れ様でした―