20231026(快晴の探訪日和の木曜日),
以前我家の押し入れに眠っていた未完成の「掛け軸」(持ち主の方は戦死され未完成で放置されていた)を見掛け、志半ばで・・・と思い、
「私が仕上げたるわ」
で、
未完成だった掛け軸6本を2~3年掛かって完成、それを「表装」に仕上げた経緯があって、
その中に「菊水紋」で有名な「楠木正成」公の「忠義/忠臣」で有名な「如意輪寺」が在ったので「朱印」を頂きに・・・
当時(≒30年前?)、「如意輪寺」に居られた方はえらいお婆さん?でその朱印(大きさが≒15㎝角)を出して来られ「朱」が馴染むようにドライヤーで朱印面を暖めて持参した掛け軸に押印して頂きました。
その当時の事は鮮明に覚えていますので今回久々に「如意輪寺」を訪れてきました。
「如意輪寺」は後醍醐天皇の「塔尾陵」が在って天皇陵で唯一「北面」を向いた御陵なのです。
第96代「後醍醐天皇」鎌倉時代を終焉させたあと、「足利尊氏」と対立して南朝を築いたことで知られる天皇。
南朝とは、後醍醐天皇が独自に樹立した朝廷で、京都よりも南の吉野(現在の奈良県吉野郡)で築かれたことから南朝と呼ばれました。
何故北向きか
「身はたとへ南山の苔に埋むるとも魂魄は常に北闕の天を望まん」
この辞世に沿って天皇墓陵としては唯一北向きに設けられた、とも・・・。
で、
大楠公の「楠木正成」、小楠公の「楠木正行」親子の泪泪の場面も・・・・、
楠木正行は、後醍醐天皇と共に鎌倉幕府を倒した楠木正成(くすのき まさしげ)の嫡男。南北朝時代、後醍醐天皇は南朝第一代天皇となり、南朝第二代天皇となった後村上天皇(後醍醐天皇の皇子)に仕えた武将です。
戸板に彫られた辞世の句、
「かえらじと かねておもえば梓弓 なき数に入る 名をぞとゞむる」
は、
「生きて帰ることはないと決意し死者の仲間入りをする自分達の名を書き残しておく」
という意味らしいです。。。
次は、
後醍醐天皇の皇居であった書院が今でも現存している「吉水神社」へ
此方はお初でしたが以前から行って観たい神社で・・・・、
その前に先ずは入口が凄い
あの吉野山のメイン通路に立派な鳥居があってそこから入る参道?はエラい下り坂
勇気がないと入って行けない世界
そこから少し入っていくと又又エラい光景が・・・・
凄い急登でその道の中央に階段が設けられ、要は4輪の方はその階段をまたいで上って下さいと
で、
バイクの方は両側の≒1m強の処を通って下さいと
で、私は動画にも有りますが勇気を出して急登を上り山門前に
だけど山門が開くのは9時
で、山門前にバイクを置いておくのは出来ないので、又下って降りて・・・、階段下で待って居ると9時に成り山門が開くと、
宮司さんが、
「バイクで上がって来て来て下さい、中に駐車場が在りますので」(私的に神域なのに・・・・)と手招きされ・・・
やっとこさ「吉水神社」境内に到着。
初めて訪れて非常に良かったですね~
あの歴史を感じる古びた書院の中には後醍醐天皇の「玉座」がまだ保存されていて一瞬時空を飛び越え過去に・・・・。
鎌倉幕府の頼朝が弟の「源義経」を探しにきた場面とかがあって・・・・歴史の教科書が現存していました。。。
先程の境内の駐車場ですが普通車なら5台は入れるかな?
但し9時に到着して下さいね、急登を上って行くは満車だったら、その急登をバックで下るはめになります・・・・。
次回は、
紅葉ピークに成る前に再度訪れたい「吉水神社」でした。
【写真】
散策を終え一寸まわり道して「王将」で食事を
お疲れ様でした、
次の頁に走行動画をUpしておきます。