まだ続く。
餓死して死なせた
セキセイインコの話。


夫とも たくさん話した。

夜、うっかりリビングの
写真フレームを落としてしまい、

「あ、ごめん」

って、いつもなら
眠っているはずのインコがいる
ゲージを振り返った。
ゲージは 片付けた後なのに。


空っぽのゲージが寂しくて、
ほかの鳥を…と思って、
一瞬で「あのインコとはちがう」
と打ち消す。


夫も 寂しすぎて、
ほかのペット…

わたしが以前から
飼いたがっていて、

でも、
精神疾患では世話できないと
保留になっているウサギを
飼いたくなるのを
一瞬で 打ち消すのだという。



娘は、
ゲージがなくなったのに気づくと

インコを埋めた
ベランダのプランターに向かい
そっと 手を合わせた。



わたしの精神疾患のため、

娘は、わたしから
優しい気持ちとか
そういったものを
教えてもらうことなく
いまに 至っているが、
こころは 育っているのかも。


今朝、娘と話をした。

わたし
「インコが 夢にでてきたよ。

 なかなか きてくれないと思ったら、
 あなたと遊んでいたんだってね」

「うん」

わたし
「でも、もう夢に
 でてこれなくなるんだって。

 もうすぐしたら、
 死んだ鳥たちの国に行くんだって」

「お山の上?」

わたし
「それは わからない」

「もう少しってどれくらい?」

わたし
「あと1カ月くらいだって」

「1カ月って どのくらい?」

わたし
「30日だよ。

 それまでは そばにいるけど、
 そのあとは 
 そばにいられないんだって。」

そう話しながら、
わたしは 泣いた。





わたしが子供の頃、
死んだ動物をみたときは
(車道で事故死した動物など)

「迷わず天国にいってください」
と唱えるように

祖父から 教わった。


「可哀想だ」と思うと、
その動物は 天国にいけないからと。



大人になってからは、

動物の死を
ひきずらないようにする、
おまじないのような言葉だと
思うようになった。

しかし、それは 見知らぬ動物の死に対してであって。家族同然のペットの死となると、手軽とはいえない おまじないだとわかった。



餓死という死因ゆえに、

可哀想と思う気持ちと
罪の意識は消えなくて、


意識的に 
考えないようにしないと
生活していけない。


それでも、
「迷わず天国にいけますように」

我が家のインコにも
願うしかない。


もみじ紅葉