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元気でいますか?

みんなが笑顔でありますように。

才能と言うのは、息を吸うようにできてしまうことだと言われる。
気にしなくても、できてしまっていること。
でも、だからこそ、その本人は、気づかない。
当たり前にできてしまう、から、才能だと思わない。
それ、できて普通でしょ?みんなもできるでしょ?と、思えること。
でも、よ~く観察すればわかる、ほかの人は、かなり努力して、
可能にしていることだったりすることだと。

そして実際にすでにできていることと、もう一つ。
普通に興味がわくこと。
知りたいと思うこと。やってみたいと思うこと。
それも、才能だ。

誰もが同じように、興味を感じない。
でも、自分はそれが気になって仕方がない。
やりたくなってしまう。
そして、始めてみたら面白くて止まらない。
上達は遅いかもしれない、でも、楽しくて仕方がない。
下手の横好きと言われても、好きだから仕方がない、そういうこと。
それも、才能だ。

それと、もう一つ。
事やモノだけではなく、人だ。
気になる人、それも才能の在処を教えている。
その人をまねたり、教えを請うたり、
そうしている間に、新しい才能が育ち始める。
それも才能になる。


すでにできてしまっていること、
たった今興味を感じること、
あこがれてしまう人。
それらは、当人の才能の在処を示している。

だから、すでに才能が開花していることもあれば、
才能が開き始めた人もいれば、
才能を見つけたばかりの人もいるのだ。

つまり、当人にしか分からない、
当人だけがわかる、「それ」が才能で有り、
身近な人が、みつけてくれる才能だ。


そして、その才能を生かすためには、
才能に気づくことから始まって、
ありのままの自分に素直になることも必須で、
ありのままの自分には価値があることを受け入れることも必要になる。

さらに、必要なこと・・・・
これが、最近知ったことだけれど・・・
興味のないこと、やりたくないことは、しないことだそうである。
持っているエネルギーのほとんどを、才能につぎ込むためには、
自分に無駄なエネルギーを使わせないことだそうである。
好きなことだけ、興味のあることだけ、息を吸うようにできてしまうことだけを
やっていれば十分であるということ。

それ以外にエネルギーを費やすことは、「無駄」だそうである。
ただし、一見無駄に見えても、才能がさらに開くためには、
必要なこともあるので、簡単に、無駄かそうでないかを見分けることは、
しない方が良いと思う。
少しばかりの遠回りが、結局、大きな花が開くには必要な場合もあるから。
一見無駄に見えても、どうしても避けて通れないなら、
それは、無駄ではなく、必要なことだから、避けられないのだと、
そこは、諦めて、しっかり引き受けてゆくということだ。
その見極めは、若いうちはわからない。
できれば、似たような才能を持っている人の生きざまを、参照すべき。



そうやって、私自身の才能は、どこよ?と、人生を振り返ってみると・・・
園芸の知識と経験。
スピリチュアルの知識、健康オタクの知識、
編み物や料理の経験と知識。
そして、うつ病の経験と、それに伴って人生から学んだこと。
そして、元気な笑顔、
それらが、私の才能らしいと気づいた。

それらは、息を吸うように、身に着けてきたことだ。
必要に駆られてだし、興味をそそられたからだし、
実際に社会に出てからの自分を観察して見つけたことだ。

そして、最近、周囲から、それらについて、「すごい」
「自分にはできない」と言われていることに気づいたから。
料理も?園芸も?と、思ったが、
どうやら、普通の人よりは、学びが多いらしい。
笑顔も、どうやら普通のレベルではないらしい。
それらが、私たらしめている才能だ。

でも・・・・それが才能だからとわかっては見たが、
正直、お金になりそうもないwwww
才能の一つではあるが、直接、経済力には結びつかない。

とはいうものの、去年は、占星術で、1万円をいただいたし、
今年は、編み物で、3000円をいただいた。
アップルパイで2000円もいただいた。
ちょっとしたこづかいでしかないけれど、
そこに、才能があったのか!と、気づかせてもらった。
そして、それが才能なら、もっと好きになって良いし、
続けても良い、楽しんでも良いんだと、思えるようになった。
自分に、楽しんでいいという許可を与えられるようになった。
こづかい以上に、私には、意味のあることだった。

自分に人生を楽しんでいいという許可を与えられた。


これは、とても大きなことだと思う。
心のどこかでいつも、人生は、試練だ、修行だと思っていたのだろう。
そして、楽しいということは、もっと心湧きたつことだと思い込んでいた。
でも、地味に楽しいことだったので、楽しんでいることに気づけなかった。
これしかできることがない、やることがない、単なる暇つぶしと言う
認識しか無かったから・・・
でも、楽しくなければ、暇つぶしにもならなかったろうなと、今は思う。

暇つぶしと言う範疇から、「お楽しみ」に昇格。
それを認めただけでも、人生は、楽になった。


そして・・昨日の出来事。
新しいシフトに変更になって、
新しい業務が入ってきそうになったのだが、
やりたい?って聞いてくれたので、
興味が持てないと正直に話したところ、
それなら、現状で良いということになった。
正直、仕事には興味が持てない。
お客様が笑顔でいてくれたら、それで十分、私は幸せで、
職場で評価されたいとは、思えない。
なので、新しい業務は直接お客様には関わらない部分なので、
興味が持てなかった。
それで正直、興味が持てない、覚えたいと思わないと伝えた。
それが了承されて、私は、余分なことを抱えずに、
もっとお客様に向き合うことができて、嬉しいと思う。
才能以外のところに、余分なエネルギーは使わないと、
言うことの意味を、感じた。


1日4時間、お客様と向き合って、
それ以外の時間は、自分の好きに費やす。
そうして、自分を整えて、自分を守って生きる。
それを改めて、自分に許可した。

人生の終盤、ようやく、自分のあらかたを良しと言えるようになった。
ようやく、「自分」を生きるんだな~と、感じている。