「私のノートの書き方はこれであってるのか…?」
 
とうっすら思っていたこともあり
 
オンラインサロンのノートブック修道院では、これまでのやり方は一旦置いてまっさらな気持ちで取り組むと決めていた。
 
 
設定変更ノートは何かを変えるため、ゲットするために書くのではない、
自分と過ごすために書く。これか大前提!
 
とさきこさんから聞いて、
 
初日からその在り方を取り入れてスタートした。
 
 
「自分と過ごす」「自分と一緒にいる」……この感覚はなかなかピンと来なかったけど
 
さきこさんや修道女さんの投稿を楽しみながらやっていくうちに、
 
以前より書く内容も豊富になって(在り方が変わって書くことを選別しなくなったとも言える?)
 
書いたノートが不思議と大切なものに思える変化があった。
 

大好きになった桜モレスキン



今まで捨ててた紙モノやレシートも基本全部貼ってみると、純粋に切り貼り・レイアウト作業が楽しく(そういえば工作のわくわくさん好きだったな😆)
 
 
普段何気なく見ているものも、貼って眺めると細部が見えて面白かった。
 

 例えばレシートだと、書いてあるお店や会社のロゴのデザインが様々だなぁ…とか、ここにこんなイラストある!とか、あの店員さんはこのお名前か…感謝の粉かけとこ〜とか。そういう他愛もないことを発見しては喜んでいた🥰

 
ノートアルター
 
 
 
書く内容を決めなくても
書き始めて流れるまま書いていい、
 
 
そんな風に書いていると全く違う視点が自分の横をファッとかすめる時があって、それを捉えると思わぬ展開につながることもあった。
 
 
それは
ピンッ💡とかパカーン!とか、ジワッと気づく、とはまた違う初めての感覚。
 
これもインスピレーションってやつなのか??
 
 
「何かを書く」ことは、テーマや目的をあらかじめ持って書き始めるか、
 
何か外側の出来事があって→書こう、とする感覚しかないとこれまで思っていたから、
 
楽器をさわったらとりあえず音を鳴らしてみる感覚でノートに文字を書き始める、というやり方もあるんだと知れて嬉しかった。
 
 
 
 
 
 
ずっと時間が取れない思っていて、やらなかった読書&読書ノートもたくさん出来た。
 
途中で読まずに何年も止まっていた本が一冊あって、
この修道期間に何となく続きを読んだら、今だからこそ受け取れた言葉や答えが山程あって驚く。
 
読書ノート、やっぱり好きだからこれからも時間を取ってやろう!
 
 
 
 
 
 
 
 
そして迎えた最終日。
 
修道女さんたちの投稿に
 
「私さえいればいい」
「私にありがとう」
 
という言葉を見つけて、私も深く共感していた。
 

(その時の気持ち)
 

「このノート」は、
 
全部自分が書いたんだ、自分が言葉を選んで文字にした。
自分がここに行った、このお店で食べた。このシールも貼りたくてここに貼った。
 
この言葉を書き抜いたのも、やることを決めてやったのも、この本を読んだのも全部自分なんだ。
 
私はここにいる。ずっとずっとそうだったんだ。なんて豊かなんだろう、ありがとう…
 
もう自分を蔑ろにしない。そんなことしない、絶対に。
 
こう溢れるままノートに書いていた。
 
 
 
ファン的欲求から、さきこさんのノートもっと見たかったなぁ〜〜🥺と思ったけど、
 
自分のノートをこんな風に見れたことが、何よりも私にとって素晴らしく喜ばしいことなのかもしれない。
 
 

これからも覚えておきたい出来事が、
 
5時に起きてリビングのカーテンを開けて
朝の光のなかノートを開いたとき
ふあっと心が喜んでいるのを感じて嬉しかった。
 
今までノートをたくさん書いたけれど、初めてこんな気持ちになった。
 
自分と過ごす至福とはこの感覚なのかも。
 
 
さきこさん、修道女の皆さん
約3ヶ月ありがとうございました!!
 
 
 
 
 

 

 

 
うえだえつこ
 
 
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