この広い地球には、未だ見たことのない素晴らしい景色が存在し、そこでは言語も文化も確かに違う人々の暮らしがある。それらに強く惹かれ、追い求めて、世界を歩き回ってきた。個人旅行を始めて、もう5年。そこでした事、あった事、どれもが新鮮な響きを持っていて、錆びた僕の頭に油を差してくれた。 ©Urban Nights Gallery. All rights reserved.
突然の帰省と中国列車移動の思い出。
そういえば、北京から四川へ旅した時も中国はお盆だった。それこそ民族の大移動という言葉に相応しかった。チケットカウンターには途轍もない人の列が出来て、律儀に待ってたら一日かかっちゃうよ!と友達は笑って言うと、人混みの中へ分け入って行った。1時間後、彼女は手の中にしっかりと僕のためのチケットを収め、戻ってきた。列車に乗り込むと、想像を絶する環境が待っていた。乗車率は200%を超えている。指定席を取れなかった人々で廊下は占領され、トイレや洗面所のスペースまでにも乗客が侵食している。僕のチケットも席は約束されていない自由席だから彼らと同じ身分だった。これから24時間立ちっぱなし。すると、呆然としていた僕を見兼ねた乗客が三人席をさっと四人席にしてくれた。ここ、座れということらしい。窓を隔てた駅のホームで、良かったね、と友達が微笑んで手を振っている。あの日、三人の友達に見送られた僕は、3週間後にまた会えることが分かっていた筈なのに、多くの人が居る列車の中で泣き出してしまった。中国人の優しさ、寛大さは、彼らの大陸そのもののような気がしたのだ。
その後の列車移動はというと、僕が日本人ということもあってか、おやつにご飯に飲み物まで色々なものを本当に多くの人から貰った。その御礼にといって、僕からは日本のお菓子や雑賀を贈り、歌を唄い、写真を撮った。24時間の列車移動は、辛かったけどとても素敵な時間だった。なにより、20億人の大移動の流れの中に僕もいることが嬉しかった。こんなにも大勢の人々が移動している理由の全ては、その先で待っている大切な人に会うためなんだから。
営業先と、物撮り依頼の話。
電通や博報堂が手掛けているのかどうかは分からないが、都市部でデカデカと掲げてあるあの広告写真はどうしたら撮れるのか。まず、僕のような駆け出しの写真家は100%相手にされないはずだ。誇れる実績が欲しい。業務委託のような小さな仕事じゃ駄目だ。ブライダル撮影でも物足りない。というわけで、最近、出版社や中堅の広告代理店に営業をかけている。僕は、主に人物撮影で営業に行くのだが、物撮りができるどうかをまず間違いなく聞かれる。物撮りに関して全くの未経験である僕が、「はい!わたしできます!」とも言えないので、何かサンプル品を撮影するのでそちらで判断して下さいと必ず答える。大手化粧品のようなハイレベルなライティングとなると完全にお手上げだが、基本的なライティングは身に付けている。



とりあえず、試しに撮ってみたのがこちら。これでも色々と試行錯誤して、1時間程かかった。本当に奥が深くて、とても面白い。ライティングは製品の雰囲気に適しているか、素材感がちゃんと出ているか、欲しい場所全てにピントはきているかなど、その留意点はポートレートに比べて多い気がするが、全事項がばっちり決まった時のやった感はたまらない。特に光を反射する物は難易度レベルが格段に上がり、いよいよ僕は腕まくりをして撮影に臨む。もっともっと練習を積んで、ライティングのバリエーションを増やしていこうと思う。
独立から現在の仕事まで。
先月末に独立をした。師匠の下でカメラマンアシスタントして働き始めてから、早くも1年が経過したのだ。大して師匠のお力にはなれなかったのに、僕だけ一方的に多くのものをもらった。写真技術を研鑚しただけじゃなく、写真に対して取り組む姿勢、言葉遣いや気遣いといった一般常識の数々まで本当に多くのことを学んだ。とても厳しい方で、とても忙しい方で、どれ程、僕は入ってすぐに辞めたいと思っただろうか。でも、今思い返せば、師匠のその厳しさには感謝してもし切れないし、多忙を極める毎日だったから今では休みがなくても全然平然でいられる。
独立をしてからというもの、主にブライダルの仕事をしている。結婚式や前撮り撮影といったもの。あとは舞踏や太鼓の舞台をこれから撮影させて頂くことになっている。写真界ではまだまだ若い年齢ですが、改めてどうぞよろしくお願いします。
自宅でも作れちゃう簡単サングリア!
今年十月に写真展 『視線の行方』 を恵比寿 Aparment Bar VinSantoで開かせて頂くことになりました。これから打合せなど重ねていくと思いますが、真嶋店長さん、その他スタッフさん、その節はどうぞ宜しくお願い申し上げます。
その詳細は後日お話しするとして、そこのバーで何とも美味しいサングリアを頂いた。それは意外にも白ワインのサングリアだった。一口含むとフルーティで爽やかな味わいが口に広がる。なんかアルコールってことをついつい忘れちゃう。普段あまり飲むことがない白ワインもサングリアにしちゃえばひょいひょいグラスが進む。仲良くなったソムリエの松下さんに聞けば、これは自家製なのだそうで誰でも簡単に作れるのだそう。
え?!これが自宅で作れちゃうんですか?こんなサングリアがいつでも飲めたら最高だよ!
ということで、早速、自宅でサングリア作りが始まった。まず用意するものはやっすい白ワイン。松下さん曰く、高級なワインは買う必要なくて、コンビニに売っているもので十分らしい。それを梅酒作り用の瓶に入れて、お好みのフルーツを丁寧に剥いて放り込むだけ。3日も寝かせれば、安物の白ワインは立派なサングリアに生まれ変わっているのだ!お薦めのフルーツは、イチゴ、パイナップル、ゴールドキウィ、オレンジ、グレープフルーツと柑橘系の果物がベター。あとは、バナナがなかなか大きな仕事をしてくれるのだそう。ちなみに、僕はイチゴ、ゴールドキウィ、オレンジ、例に倣ってバナナを使ってみた。
そして、問題の3日後。
帰路につく足並みも心なしか軽やかになっている。仕事を終えてからの僕はもうサングリアしか頭になかった。この日のために今日まで生きてきたのだ。自宅玄関をばんと開けて、着替えもせずに冷蔵庫へ直行なんてシミュレーションまでしてみる。サングリア、サングリア、サングリア。完全にアル中の兆候だ。すっかりアルコールに憑りつかれて、踏切の音も聞こえない。石につまづいたって気にしない。自宅に着くやいなや何よりも優先して冷蔵庫へ頭を突っ込んで取り出した。ゆっくりとグラスへ注いで一呼吸。口に含んでみる。
こ、これは、、、美味しい!傑作だ!
これでおれもサングリア職人の仲間入りだ!ビバ、スペイン!!
ということで、これからもう一つ作ってみます。
「The Architecture」 vol.2 - 浜離宮恩賜庭園
「浜離宮恩賜庭園」
潮入の池と二つの鴨場をもつ江戸時代の代表的な大名庭園。潮入の池とは、海辺の庭園でよく用いられる、海水を導き潮の満ち干きによって池の趣を変えるもの。鴨場とは、鴨の猟を行う場所のこと。この地は元々、一面芦が生い茂る湿地帯で、徳川家はここでよく鴨猟を行っていたようだ。
ここに初めて屋敷を建てたのは、四代将軍家綱の弟である松平綱重。将軍からこの地を賜り、海を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てた。その後、綱重の子供の綱豊(家宣)が六代将軍になると、この屋敷は将軍家のものとなり、名称も浜御殿と改められた。以来、歴代将軍による何度かの造園、改修工事を経て、現在の姿の庭園が完成した。
明治維新の後は皇室の離宮となり、名前も浜御殿改め浜離宮とし、昭和20年、東京都に下賜されると、今の名前である浜離宮恩賜庭園に改称された。
Hama-rikyu garden @Shiodome_Chuo-ku

5月7日、反原発デモ1万5千人が参加@SHIBUYA
自由に楽器を鳴らし、歌い、踊り、まるでパレードを見ているようなデモだった。僕のイメージするところのデモとは道路を占有し、機動隊と睨み合い、一種の事件性で以って訴えかけるものだと思っていた。真剣な想いをより多くの人々に伝えるためにはそうあるべきだと考えていた。だから、今回のような平和的で、友好的な人々の訴え方は、僕なりのデモという在り方を根本から覆すものだった。険しい表情で必死に叫ぶ人々のデモは一度見れば躊躇い一線を引き兼ねないが、確かにこんな風に楽しく盛り上がったパレードデモなら気軽に参加できて、結果的に多くの人々が反原発を考えるきっかけになるかもしれない。実際、夜には雪だるまのように参加者が膨れ上がり、参加者も通行人も区別がつかなくなってしまったという。この国を変えるためには、あの日エジプトの若者達が団結し、ムバラク政権を崩壊させたように、若い世代が立ち上がらなければいけないと思う。クリーンエネルギーへの転換や太陽ソーラーパネルの拡販はまだ遠い未来であっても、今回のようなデモが新しい未来を紡ぐ一助になればと思う。渋谷という大都会でデモという事件を目撃し、高らかにカードを掲げる人々にシャッターを切りながらそんなことを考えていた。
05.07.demonstration @SHIBUYA_TOKYO
























