今回は真面目な話をします。






現在、私の父は1ヶ月半前から入院しています。今回の入院のきっかけは前回と同じく尿路感染症でした。ただ、前回と違うのはそこから敗血症を併発したことです。それにより、抗生物質での治療期間が長くなりました。その間はほとんど点滴栄養のみでした。







ようやく、発熱もおさまり抗生物質の効果が表れ症状が落ち着いてきたころ、新たな問題がおきました。








元々あった嚥下障害の悪化により、誤嚥性肺炎の危険性が高まったために口から食べ物を摂取することが難しいと医師から説明がありました。それでも、当初はゼリー食などをちょっとずつ食べられる状態でした。








ところが、ゴールデンウィークが明けた頃また問題が起きました。誤嚥性肺炎を起こしてしまったのです。また発熱、抗生物質での治療に逆戻りしました。そして、もう口から食べ物を摂取することは完全にできなくなりました。喀痰吸引も一時はほとんどいらないくらいに回復していましたが、今は一日に8回以上は必要な状態になり、本人も徐々に弱ってきました。








そこで、医師から家族へ提案がされました。点滴栄養でいくか胃瘻を造設するか。ただ父の場合は点滴栄養の場合、高カロリー栄養が入れられないということが判明しました。当初、病院は高カロリー栄養を試しましたが、父の場合肝機能が著しく低下してしまい治療に耐えられないことが判明したため、中止せざるを得なかったからです。なので、点滴栄養の場合は本来1200カロリーほどが必要なのに対し、父は600カロリーほどを入れることしかできません。元々父は体格がよく、これはとても必要摂取量を満たしているとはいえません。なので、私たちは胃瘻を選択するつもりでいました。医師から父はまだ60代ということもあり、少しでも延命できるのは胃瘻だという説明を受けたからです。








ただ、私たちには引っかかる部分がありました。それは父の意思はどうなのかということ。本人が、ある意味延命治療といえるような胃瘻を望んでいるのかということ。父は元々食べることが大好きです。そんな父が、どうせもう食べることができないのに長く生きることを望むのかどうかということ。









そこで、私たちは医師にお願いし父と特別に面会させてもらい、そこで意思を本人に聞くことにしました。すると、話すこともままならなくなった父がはっきりと嫌と拒否。どうしても胃瘻は嫌とのこと。それを聞いて私たちは父の意思を尊重するという決断をしました。








でもそれはすなわち、父と過ごせる時間が残り少なくなったということでもあります。正直複雑な気持ちです。とりあえず、療養型病院に転院する方向になりましたが、果たしてあとどれくらい生きられるのか。それまでにできることは何なのか。私たちははじめから延命治療を望んでいません。なので、最期のときは病院でだとしても自宅でだとしても自然な形での看取りを希望しています。









普通の人にとって600カロリーでどれくらい生きられるのかなんて想像もつかないことですが、徐々に弱っていくだろうことは想像できます。ただ、その弱ってきた状態で何年も生きられることなどあるのでしょうか。私たちはインターネットなどでいろいろ調べてみたりもしましたが、どれも数ヶ月や半年など怖い事実ばかり。ただどの例も高齢者であることがほとんどで、おそらく父の年齢でこのような状態になることが珍しいことなので、同じような年代の方の例を見つけることができませんでした。









4月に入ってから発熱するまで、元気で一緒に映画を観たりしていた父がまさかこんな状態になるなんて。正直急すぎて実感がありません。入院した日は、朝は発熱も治まっており午前中は普通に過ごしていました。ところがお昼前になって、急に震えが出て息が上がってるような様子があり発熱も確認できたため、私が救急要請しそのまま入院になりました。前回の尿路感染の経験もあり、救急のほうがいいだろうと判断したからです。今思うと、あの日もし救急搬送していなかったら敗血症が原因で亡くなっていただろうと思います。そうならなかっただけよかったと思うしかありません。ただ、もう正直覚悟はしはじめています。









医師からはもう希望的な話はなにもされません。とにかくちょっとでも延命していくために、誤嚥性肺炎を防ぐためにという話ばかりです。改善の見込みはないと言われました。私自身、誤嚥性肺炎の恐ろしさはわかっています。なにしろ旦那様の祖父の死因が誤嚥性肺炎でしたから。旦那様の大好きだった祖父は、無理な延命治療の末、最期は手足の指が壊死し取れてしまい、管だらけで誤嚥性肺炎になって亡くなりました。その姿を私も当時見たからこそ、自分の父には延命治療を望まないのです。できることなら少しでも安らかに最期を迎えさせてあげたいんです。








点滴だけで生きることも自然なことじゃないとは思いますが、口から食べられなくなっただけの父なのにそれもせずにただ死を待つだけというのはさすがにできなくて希望なんてほとんどないにせよ、もうちょっと点滴で頑張ってもらうことにしました。まー父の場合、病気のオンパレードのような人なので、ここまで生きていることも奇跡のようなことなのですけどね。脳梗塞に、脳出血、狭心症、腎機能障害、前立腺肥大と、どこがいつ悪化してもおかしくないと元々言われてたので。なのでおそらく栄養が点滴からしか摂れないとなると衰弱するのは早いと思います。元々抵抗力がないですから。実際既にもう父は起き上がれないような状態です。意識もなんとなく朦朧としたかんじで。このまま弱っていくのかなと思うと切ないですが、正直もう充分頑張ってきたんじゃないかという気持ちもあります。










コロナ禍じゃなければ、もっと面会ができたり一時帰宅ができたりするのになと思うと悔しいです。最期まで一度も顔を見られることもなくお別れというのはできれば避けたいですが、今の状況やと厳しいかもしれませんね。早く収束してくれることを祈るばかりです。ちなみに父はワクチン接種の順番がもうきているのですが、今の状態ではワクチン接種に耐えられないかもしれません。それに予約するためには退院しなければならないと言われました。もし今の状態でコロナに罹ったらそれこそ命取りになるでしょうが、接種できないものは仕方ないですね。もっと早く接種券がきていれば間に合っていたかもしれないと思うと悔しいですが。








今回の父のような状況におかれたときに、どういう選択をするのが正解かなんておそらく答えはないのでしょう。それでもやっぱり家族はいろいろと考えてしまうものです。もう決めたことやけど、ほんまにこれでいいんやろかとか、他になにか方法があるんじゃないかとか。ちなみに今回父の場合は経鼻栄養は適用とならないんだそうです。嚥下の状態を見るために経鼻内視鏡を入れようとしましたが、それも気管に入ってしまうくらい嚥下障害が進行しており内視鏡検査を中止せざるを得なかったからです。それに経鼻栄養は一時的なもので、父のように長期的に栄養を必要とする場合には苦痛が伴うので普通は点滴か胃瘻になるそうです。改善の見込みがあれば適用になったのかもしれないですが、鼻から管を通すことが難しいようではどちらにせよ無理かもしれません。










正直、私はもう父のエンディングプランを考えはじめています。少しでも納得いく形で送ってあげたいから。最期のときまで少しでも長く生きてくれることを祈るばかりですけどね。せめて今年の父の誕生日くらいまでは生きていてほしい。父の誕生日は9月で実は私の結婚記念日と一日違いなんです。今年私たち夫婦は結婚十周年を迎えます。せめて誕生日と記念日を一緒に祝えるくらいまでは頑張ってほしいなと思います。もちろん叶うことなら数年先の誕生日も祝えたら一番いいけれど。せめて、公開延期になったハリウッド版ゴジラ最新作が公開されるまででもいいから生きていてほしい。父はとても楽しみにしていました。ゴジラが大好きやから。コロナがなければ延期にもならず、一緒に見に行くことができただろうに。











今は正直どんな気持ちでいたらいいのかわかりません。実感もないけど、半分受け入れてはいるようなかんじです。ただ一年間とはいえ、昔のように一緒に暮らすことができたことはよかったなて思います。昔のように一緒にいろんな映画を見たりできたし、いい思い出になりました。ほんま人って急にどうなるかわからんものですね。では。