今回はめちゃくちゃ真面目な話をします。表題どおり。宗教の話が苦手という方はお気をつけください。





実は私は何十年もずっとこの宗教に困らされ続けてきました。元々は京都の祖母が入信したのがはじまりだったようですが、そこから父、そしてその父と結婚した母、その子どもである私たち姉妹と芋づる式に入信させられていった結果、現在では母が熱心な信者です。今回はそういう立場である私から見た、この真如苑という宗教団体のメカニズム、問題点などの話をしようと思います。








まず、この団体がなぜ信者の家族まで芋づる式に入信させられていくのかという疑問から。その理由の原点は教祖の一家にあります。真如苑では、真言宗のお寺などと自称しながら教祖一家を崇拝の対象としており、現在では仏様よりもなによりも教祖一家です。なにかあれば教祖一家のおかげ。とにかく教祖一家への感謝を忘れるな、毎日一家に祈れと信者に教えており、現在の教団トップになってから更にその流れは加速しました。真如苑は元々一家の父がはじめた宗教で、現在はその娘が後を継いでいます。このように、元々家族がはじめたからなのか真如苑ではとにかく家族で入信することを重視します。真如苑では信心することをあゆむと言いますが、とにかく事あるごとに家族であゆめと信者に教えます。それから、真如苑に名前があるだけでも守っていただけるからとか言い、信者に家族の許可なく家族の名前で勝手に入信届を書き入信扱いにすることを推奨しています。これらのことにより、私のように自分の知らぬ間に信者にさせられているという例が多発しています。真如苑では、詳しくは後述しますが友人や家族などを勧誘することをおたすけと呼び、おたすけをすることが相手のためになる、おたすけすることでその方を守っていただける、またおたすけすることで自分の霊位が向上すると教えているので、信者自身は良かれと思って何の罪悪感もなく平気で家族や友人などを本人の許可なくとも入信させます。真如苑のシステム自体がそのことを助長しているとしか思えないシステムになってるんです。







真如苑の信者がまずはじめに教えられる実践すべき項目は3つです。おたすけ、お歓喜、ご奉仕。一つずつ説明していきましょう。おたすけとは先ほども言いましたがいわゆる勧誘のことです。お歓喜とはお布施のこと、ご奉仕とは読んでそのまま奉仕活動のことです。これは何をするかというと、例えば早朝の駅でゾロゾロと集まり清掃をしたり、教団施設やその近隣で交通警備をしたり、教団施設内での法要準備など実に様々です。一応強制ではありませんが、自分の霊位を向上させようと思ったら実質強制的にこれら3つの項目を実践させられることになります。







そして、特に近年重視されるようになったのが教祖一家への感謝と祈り、それから聖地親苑と呼ばれる東京都立川市にある教団本部、それから応現院と呼ばれる施設への参拝、祈りです。実際に母は最低でも年に3回以上は参拝しろなどと言われているようです。ちなみに今年2月には私も久しぶりに道連れにされました。基本的に熱心な信者の子どもは最低でも一度は団参というものに参加させられます。これはどういうものかというと、地方や首都圏以外の地域に住む信者が団体バスで親苑へと参拝するのです。子どもたちの場合はたいてい夏休みに連れて行かれることになります。私も小学校の頃、東京観光をダシに参加させられました。その頃はまだ応現院はただの空き地でしたが、なにもない土地をありがたいやらなんやらと言うている大人たちを見て愚かしいと感じたものです。立川市に在住の方ならご存知かもしれませんが、真如苑の本部ってちょっとバラけた配置になっています。本部の建物の他に真澄寺という教祖がはじめに建てたとかいう寺などが道を少し行った川向こうに建っているので。私的には、近所の人にとっては迷惑極まりないやろなーと思います。毎日毎日あちこちから信者がやってきて、近所の道をゾロゾロ歩いてるわ、早朝には次々と団体バスがやってくるわ、本当に宗教に盲信的になっている人間には周りのことは全く見えていませんので、普通なら迷惑やろなーと思うことでも平気でやっています。







では、真如苑の信者がなにを目標に信心を深めていくのか。それは霊能という地位を得ることです。つまり霊能者になること。真如苑には信者のランクのようなものが存在します。ある程度上のランクへ上がるには、数多くのおたすけ、お歓喜、ご奉仕をする必要があるのはもちろんのこと、親苑への参拝、それから智流学院と呼ばれる講座へ通う必要があります。もちろんこれも有料。信者は霊能の地位まで上がった信者をなによりも尊敬の対象とします。なぜ信者が霊能者を目指すのか。それは接心修行と呼ばれる真如苑独自の修行に理由があります。







真如苑ではおたすけ、お歓喜、ご奉仕のことを3つのあゆみと呼びますが、それともう一つ教義上重視されているものがあります。それが接心修行です。これは実際に私も小学校の頃から参加させられてきましたので、具体的にどういったことが行われているのか興味がある方もいるかと思うので解説したいと思います。






まず、接心修行には何種類かあり、どの種類を受けるかによって値段も違いますが、基本的にはじめに受けることになるのは向上接心と呼ばれるものです。これは簡単にいうと自分のダメなところなどを見つめ直し、どうすれば霊位が向上していけるかなどについてアドバイスを受けるもの。他に鑑定接心というものなどもあり、これは具体的な、例えば引っ越しを予定しているなどの場合に方角がどうかなどを見てもらうもので、まー私から見たらどちらも占いと大して変わりませんね。笑







接心は最低でも月に一回受けることが推奨されます。というより、ある程度あゆむとほぼ強制されますね。私も小学校の頃から受けさせられておりました。信者は月に一回、本部もしくは全国にある支部へ行き、まずこの接心の順番取りをします。そして、法要のあと接心道場と呼ばれる会場へ行き、順番通りに整列して待ちます。どれくらい待つのかというと、順番が前のほうだったら1時間以内、かなり後のほうになったら数時間です。ある程度の番号ごとにブロック分けがされるので、そのブロックごとで延々と待機します。そして、自分のブロックの順番がきたら道場内へ案内されますが、更にここから自分の前に霊能者が周ってくるまで待ちます。ちなみに道場内は基本的に正座です。人数が多いときにはここで更に1時間前後待ちます。ちなみに、接心修行中は基本的に正座で両手は膝の上で右手を左手の上に重ね、親指を合わせる形で、目を閉じて待ちます。運が良ければすぐに周ってきますが、運が悪かったら眠くなるわ足はしびれるわでけっこう苦行になります。ちなみになんですが、私は毎回早かったです。今やから言えることですが、理由は簡単です。毎回霊能者のおばさんたちを睨みつけていたら圧に負けるのか、一番に周ってくることが多かったです。私、けっこう昔から真如苑には否定的な考えをもっていたので接心修行でもやりたい放題やってました。接心修行で霊能者が言いそうな言葉って、何回か行ってるとパターンが見えてくるんですが、その言葉を霊能者より先に言うたり、霊能者が言うたことに対して違いますと言い続けてみたり、たいてい霊能者はこれからもあゆみを進めていってくださいなどと言うので、嫌でーすと言うてみたり。笑






この接心修行こそが真如苑の本質です。人間、霊能者とかありがたいと思わされる存在にいかにも自分の心の中を見透かされているようなことを言われると、それがいかにもテンプレのような内容であったとしてもまるでそれが本当のことのように感じるもので、それを繰り返していくと、真如霊界はすべて見ておられる、霊能者がこう言っておられるのだから自分はまだあゆみが足りないのだ、もっと精進していかなくてはならないと洗脳されていくことになるのです。向上接心では割と無難な、誰にでも当てはまりそうなことを言ってきます。例えば小学生だったら、学校生活のことなどですね。霊能者とて元はただの信者なので、あゆみを進めていくと自然と接心修行のテンプレも身についていくので、別に本当の霊能者じゃなくともいかにもありがたいようなことを言えるようになります。ぶっちゃけ、私でも言おうと思えば言えると思いますね。真如苑では、真如霊界というものとの繋がりも重視します。これは、双親様、両童子様のおられる世界ということで、双親様とは教祖夫妻、両童子様とは夭折した教祖夫妻の2人の息子のことを指します。なので、真如霊界と直接繋がれるとする接心修行を特に重視します。







それからもう一つ真如霊界に関連する言葉に、抜苦代受という考え方があります。これは両童子が信者の苦しみを代わりに受けてくださるのだという考え方のこと。なので、両童子のことも崇拝の対象としています。現在はなにを差し置いてもまず両童子、双親への崇拝を推進しているようです。信者は、例えばなにかトラブルなどがあったときに、こんなトラブルがあったけどこの程度で済んだのは両童子様から抜苦代受をいただいたおかげなのだという考え方をします。それがどんなトラブルであってもです。もしそれが大きなトラブルだったら、私の精進が足りないからなのだと考えるようになります。真如霊界との結びつきが弱いからなのだと考えるようになっていきます。そうして、自然とのめり込んでいくシステムです。







ある程度上のランクに上がると会座と呼ばれる特別な法要に出られるようになります。現在、母もしょっちゅう行ってます。もちろんそれに出るためにも多くの勧誘、お金、時間が必要になります。





やれ歓喜だ、お施餓鬼だ、接心だと、真如苑は実際けっこうお金がかかるシステムになっています。興味ある方は一度、応現院という施設を見てみてください。なんぼほど金かかっとんねんて思うような豪奢な施設です。教団はこの施設を建てるためにやれ護摩だなんだと一時期熱心に信者に薦めていました。いわゆる金集めです。でも真如苑に通うおばさんたちは自分たちの祈りの力、真如継主と呼ばれる現在の教団代表の御心で建てることができたと本気で信じております。真如苑がすごいからこんなに立派な建物が建っているのだと。私からしたら実にあほらしい話です。世の中、金と利権さえあればこんなもんなんぼでも建ちます。実際、真如苑には政界にも信者がいます。







現在、母は末期の盲信状態です。こうなるともはや家族の意見など耳に入りません。なにを言っても生き方の違い、考え方の違いなどとのたまうだけです。母は私たち子ども、知人にお金を借りてまでもお歓喜だなんだにお金をつぎ込もうとします。それが私たちを守ることになるのだからと。どんなに私たちがそんなことしなくていいと言うてもです。あくまで私の気持ちなのだからと聞く耳をもちません。どんなにお金がなくても、事あるごとに親苑に帰らなくてはならないなどと言います。物事を決めるときにもまず家族の意見よりも真如苑の上の人の意見を重視。真如苑には独自の信者管理システムがあります。これはどういうものかというと、まず真如苑に入信した信者には導き親と経親というものがつきます。導き親とは、自分を勧誘した人のこと。信者は入信すると経というものに所属します。経と書いてすじと読みます。そして、経ごとの集会に参加したりします。それからお施餓鬼などは経を通して申し込みますので、自然と経親との繋がりは強くなっていきます。なにか相談ごとがあった場合にもまず経親に相談してから接心で相談するといった流れになります。基本的に経は自分の住んでいる地域に近い信者が集まります。経親は霊能者であることがほとんどで、特定の経を指す場合には経の前に経親の名字を付けて呼びます。例えば田中経など。更に、その経の上に部会があります。これは都道府県ごとで、更にその中でも何部会かに分かれています。例えば大阪第一部会など。信者は時々この部会の会合にも参加します。ご奉仕などはこの部会ごとに行います。基本的になんでもこの経、部会を通して活動を行いますので、自分の所属する経の経親がかなり熱心なタイプだった場合、本人もどんどん熱心になっていく傾向があり、現在母もこの状態です。まーアムウェイとかにもちょっと近いシステムですね。








で、この導き親、経親システムが私にとっては大問題。実は私は一度、自ら教団へと出向き脱会しました。意外と脱会すること自体は簡単です。事務局へ書類を出すだけです。ところがです。私が真如苑を辞めたという事実は導き親、経親へも知らされます。なので結果として私はその後、母に勝手にまた信者にさせられました。真如苑では入信するときに本人の意思、身分証は一切必要ありません。苑費と呼ばれる年会費が必要ですが、これも経親が集めているので母が代わりに払っていたら私本人は一切わからないまま信者であり続けられることになります。はっきり言うて、個人情報保護法違反じゃないのかと思いますが、とにかく私を真如苑に関わらせるなという条件で現在は黙認しています。








ところがです。真如苑の信者というものは、とにかくしきりに一緒にあゆんでくれと言ってきます。本人たちはあくまでそれがその人のためになると思っているのです。実に迷惑な話です。私からしたら、母を見ている限りとてもいい影響を及ぼしているとは思えず、そもそも新興宗教などの類いが大嫌いなので、どんだけ何を言われようともあゆむつもりは一切ありません。






真如苑に盲信的にのめり込んでいくと、どんどん真如苑中心で物事をみるようになります。私からしたらそれってどんどん思考回路を奪われていっているということで、とてもいい影響とは思えません。母は事あるごとに南無真如とさえ唱えといたら守っていただけるだの、しょうもないことをのたまっています。なにかあれば祈りの心がどうとか、私の精進が足りないからミスしただの、愚かしいことこの上ない。人生生きてたら、いい事もミスやトラブルもなんぼでもあります。そんなもんは真如苑に入信してようがしてまいが起こることで、それをいちいち真如苑に結びつけて考えるのはもはや依存でしかありません。こうやって、自らミスやトラブルなどを乗り越えていく力を奪われていっていることに気付かないんでしょうか。これが洗脳の恐ろしさです。







真如苑のみならず、宗教ではよくあることですが本人の自覚のないままのめり込んでいくので抜け出すのは難しいことです。私のように家族入信という形で物心つく前から入信させられているパターンも多いです。現在、私は無宗教です。あえて言うなら日本古来の八百万の神を信仰しているということになるのでしょう。たいていの日本人が自然とそうなっているように。一応、保育園は浄土真宗系でしたので西本願寺に参拝したりお花祭りをやったり、ののさまに手を合わせたりしたことはありますし、キリスト教会にも行ったことはありますが、現在特に信仰している宗教はありません。キリスト教会は入信しなくとも行けます。私はあくまで聖書に文学的興味を持ったので時々話を聞きに行っているだけで、キリスト教に入信しようとは考えていません。まー関西は基本的に浄土真宗が主流派なのでもし自分が仏教式の葬式をやるとしたら浄土真宗式になるんちゃいますかね。ちなみに結婚式は人前式でやったので、無宗教式でした。普通に神社にお参りをして御朱印をもらったり、お寺で線香を上げたりもするし、クリスマスを祝ったりもするという、まー日本人によくいるタイプだと思います。






ちなみに、母はこの前神社でも神に向かって真如苑から来させていただきましたやらなんやら言い始めたので、そんなもん天照の大神にしばかれたいんかて言うてしまいました。真如苑の信者て、他の宗教の施設などにおいても平気でぶっ込んでいきます。そんなもん他の神々からしたら道場破りに近い行為でしょうね。一応、教団としては他の宗教も認めていきましょうねということになってるからです。その割には他の宗教と比較して真如苑は素晴らしいなどとやたらとのたまうので矛盾極まりない。他の宗教と私たちは違う、私たちは新興宗教ではない、ちゃんとしたお寺やということをやたら言う傾向にあります。ちゃんとしたお寺やと主張する理由は、バックに真言宗醍醐派が付いているからです。あくまで表面上は真言宗醍醐派の真澄寺を元とする宗教団体ということになってますが、現在ほとんど信仰対象は仏教からはかけ離れています。全く無関係の真如霊界、双親、両童子が主な信仰対象です。これでよく仏教が名乗れるもんやと私としては呆れております。真言宗醍醐派からすれば、時々協力さえしてれば、お金を自分たちに入れてくれる真如苑という存在がお財布事情にありがたいだけなのですが、真如苑の信者はそうは考えません。自分たちはちゃんとしたお寺に認められた正統なお寺なのだと信じて疑わないのです。なので、勧誘の際にもまずお寺に一緒に行こうなどと誘ってくる場合が多いです。








まー今回は注意喚起の意味も込めて記事にしてみました。正直、最近ますます母がエスカレートしてきているのでぼちぼちいい加減にしてくれと思ってます。私と同じように困っているご家族もきっといることと思います。真如苑に限らず、新興宗教全般に言えることですが。ちなみに母は昔は真如苑のみならず、エホバの証人もやっておりました。なにかと騙されやすい母なのです。エホバのほうはなんで辞められたかというと、私がエホバの人間に直接怒鳴り込んだからです。幸いにも本格的に入信する前だったので、ある日家に聖書の話をしにエホバのおばさんが来たときに直接二度来んなと怒鳴ってやったらそれから来なくなりました。ちなみに母自身は今もエホバの聖書は正統なものなどと信じています。基本的に誰かの受け売りをすぐに信じてしまう人なんです。自分で調べようとかしない人なので実に危なっかしい。私は逆のタイプで、なんでもまず自分で調べます。ちなみに私の家族は私と旦那様以外はみんな受け売りを信じてしまうお人好しタイプです。調べる力って大事やと思います。母は宗教以外にも例を挙げだしたらキリがないほど、お人好しにより騙された例があります。物事に疑問を持つことって大事やと、そんな母を見てるとつくづく思います。では。