死ぬまで忘れることのない日
あの日から一年がたった
今日という日をどう過ごすか、ということを一ヶ月前くらいから考えていた。
この一年、いろんなものが壊れ、気付き、価値観が変わった。
妙な緊張状態のなか、ものすごくハイになって募金したり、自分の無知に落ち込んだり、何もできないと卑下したりした。
揺れただけの四谷にいて、命も、家も、大切な人も失ってない私でさえジェットコースターのような気持ちをもて余して、泣いた。私が泣くことなんてどうでもいいことだ。
そんなことで世界はなにも変わらない。
今日は大切な人になるべくたくさん会う日にした。
いま苦しい思いをしている人がいるのはよくわかるけれど、だからこそ大切なひとを感じる1日にしたかった。
ボランティアも素晴らしいし、社会運動に参加するのもすごい。
でも近くにいる肉親や友達をおざなりにしては、それこそ偽善だなと最近思う。
岡山の実家で親に、大阪で大事な友達と再会して、岡安さんの舞台を見て、これから唯一無二の相方の待つ東京へ戻る。
今日が何事もなく当たり前の1日として終わりますように。
わたしに関わる人が幸せでいられるように私を使えますように。
独善に陥らず、守りにはいりませんように。