さて、またまた受験勉強です。自分の偏差値から受ける短大をいつくかに絞り、参考書を買いまくり、学校でも休み時間に勉強を教えてもっらたり、本当にちゃんちゃんこ着て受験勉強してました。受験が終わり結果発表。行きたい短大にも滑り止めにも滑り、かろうじて一つだけ合格して、晴れて実家から離れることに決まりました!しかしとてもショックなことがありました。
なんと大好きな母が、乳がんだったのです。少し前に分かっていたけれど、それを言うと私が札幌行きを諦めてしまうかもしれないので黙っていたそうです。受験が終わってもう後戻りできない段階になり、初めてそこで教えてくれました。自分だったらこんなことが出来るだろうか?私はだれかを犠牲にしないと、自由になれないのかと自分を責めました。
しかし母は優しく強い女性でしたので、母さんは早期だから大丈夫と私に心配をかけないように振舞っていました。いざ札幌に住んでも、母のことは心配だわ、罪悪感だわ、ホームシックだわで、毎日帰宅すると泣いていました。
でも高校からの男友達グループと私の短大の女友達とで、コンパを生まれて初めてして、そこで幹事にも関わらず彼氏ができ、浮かれた日々が始まります。週末にはお互いの家に行ったりしましたが、ある週末彼氏の家に行った時のこと。夕方までなんとなく昼寝をして、赤玉パンチを調子に乗ってすきっ腹に入れ、夜中に具合が悪くて目が覚めました。具合の悪さに加えてしびれまで起こり、何とか彼氏に救急車を呼んでもらい病院に搬送されました。急性アルコール中毒だったのでしょう。爪の色が紫になっていたと看護師さんから後で言われました。
病気を隠してまで札幌に行かせてもらったのに、こんな母を悲しませることは言えない。父親に話したら、母がまた怒られ、そして勘当されると思い、妹にだけ口止めしてねと念を押して打ち明けました。今思えば、短大や親に連絡がいかなかったのが、不幸中の幸いでした。
このことにより、アルコールが怖くなり、謎の体調不良で痩せてしまい、髪の毛の質も、剛毛から猫っ毛に変わってしまいました。自業自得です。
何とか体調も良くなってきましたが、人生経験ばかり積んで、肝心の勉強はあまりしていませんでした。ですから帰省した時に自宅に届いた通知表を父親が見て、またなんだこの成績はと説教されました。父親にはあまり褒められた気憶がなく、いつも怒られていた気がします。そんな学生でしたが、いよいよ就職活動をしなければなりません。彼氏が札幌に居たので、札幌希望で探し、運良く内定通知を頂き、9割がた勤務地希望が通ると言われていましたので、安心切っていました。2月に届いた就職先からの郵便を見て愕然としました。「あなたの勤務地は帯広です」え?札幌でないの?泣きました。彼氏と離れる寂しさとまた実家暮らしかという思いとですごくブルーでした。
何とか単位ぎりぎりで短大を卒業し、社会人生活が始まります。
⑦に続く