池袋演劇祭の表彰式でした。

当日までどの団体が賞を取れるかわからないのですが、

今回は審査員からの申込みの時点で

賞は難しいかなと予感してました。

熱といいますか

今回集まっている審査員の求めているものじゃないんじゃないかな…と感じていたからです。


ただ、私は

今回きよみずに関わってくださった方は最高だし

めちゃくちゃいい作品に出来上がったと信じているし

実際観てくださったお客さまは、

前回よりも反響が大きく、

また観たいとお運びくださったお客様もたくさんいて

これは刺さる人には刺さる作品だと確信しました。


とにかく必要としている人に届けたいと

ひたすら走り回るしかないなと。


なので、表彰式も今回私は行かず

この作品を必要としている方に届けるべく

今日もたくさんの方にお会いしてきました。


10/29には

永井荷風について講義するお話までいただいて


今回の作品によって

きよみずの今後の活動ビジョン、

可能性がすごく広がりました。


永井荷風なんてやっても誰も観ない

そんなことを言われた時もありました。


けれど、必要としている人はいる

問題は届けられるかどうか

そう考えて動いたことで

得られたものはたくさんありました。


公演を実現してくださった関係者の皆様には

本当に有難い気持ちでいっぱいです。



1匹の鬼━江戸文化を愛した文豪、永井荷風の物語━』

アーカイブ配信は

11/10()まだご覧いただけます。

2000円と格安です。


こちらのURLからお申込みください。

https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/02hht50780b31.html



そして、実験ですが

私のことを書いた方がいいよ

と最近言われることが増えたので

書いてみようと思います。


インスタライブでもダラダラ喋ったのですが

どこに需要があるのかな

と思って今までやってこなかったことです。


そもそも、

なんで需要がないと思っているかと言うと

幼少期から一人で遊ぶのが好きな子だったので

人に喜んでもらうには

取り繕う必要があったのです。


どうリアクションしたら相手が喜ぶか

お笑い芸人のリアクションの真似をしたりして

パターンを増やしていったのが私です。

学習型ロボットやんって最近気づきました。


そんな感じで、誰かの真似をして作った外見なので

私が好きなことや考えていることを書いても

喜んでもらえないだろうなという先入観から

当たり障りないことだけを表に出すようになりました。


これを書いていて

今幼少期の私の思考を理解したのですが


私は友だちに誘われた時に

「遊ばなきゃいけないなら遊ぶ」

と言う返事をしたことがあります。


そんなことを言われたら誘いにくいですよね。


でも今もこの思考って変わってないなって思いました。

この言葉が幼いながらになぜ出てきたかと言うと


私は一人で遊ぶのが好きな人間だから

あなたを楽しませる方法がわからない

だから何をしていいかわからない

それでも

「遊ばなきゃいけないなら遊ぶ。」


と言う返答でした。


どうしていいかわからなかったんですよね。

人とのコミュニケーションがわからない

人間の世界がわからない

だから人間らしい人間になりたい

と言うのが幼少期の私の目標でした。


妖怪人間です笑


ウグイスが鳴き方を覚えるまでに時間がかかるように

コミュニケーションもうまく取れるようになるまでいろんな人の話し方や表情をみて学ぶのだから

それが普通なんじゃないかと思うんですが


私は人とのコミュニケーションの取り方を理解すしないとできないんです。


今は意思もはっきりありますし

理由も伝えられるようになりました。


ただ、それは

相手のこうして欲しいと言う考えを

表面的に真似して

その人がやっていることを返すのが

一番その人にとって心地いい接し方だろうなと

やっぱりパターンを増やしてるだけなのです。


学生の頃はまだパターンが不慣れなのと、

相手も知らずに失礼なことをしているので

同じことをして喧嘩になることもありました。


大人になってからはみんな取り繕って接するので

同じように返せば、仕事上の接し方として

コミュニケーションのプロ

なんて呼ばれるまでになりました。


けれども、長年の付き合いの友人から時々

人間関係が深くなってるはずなのに

いくら遊んでも初対面の時と距離が変わらない。

と言われることがありました。

私は壁を作っているつもりがなかったので

なんでそう感じさせてしまうのかわからなかったのですが


仲が深くなったバージョンのコミュニケーションの取り方がわかってないのが原因だったと今日理解しました。

長年の謎がここで!!!!(O_O)


コミュニケーションがパターン化してるから

深くなったらどう変わるかなんて知らないから

深くなったバージョンで接することが出来ないんです。


敏感な人ほど私の違和感に気付きますが、

私が誰とでも話せるものだから

その違和感の原因がわかる人も今までいませんでした。


コミュニケーションのプロと言われていたのに

これが通用しなくなったのが演劇の世界です。

表面的に見せるだけなのが得意な私は

一見、うまいように見えました。


けれども、小劇場の演劇は

細やかな表情から形でやっていることは全てバレてしまうので

先輩たちから、

お前の「ありがとう」は全部一緒

と指摘されました。


(皆さん、小劇場の良さはここですよ。俳優の演技を間近で堪能できるんです。俳優もどこまでも演技を見られてしまいます。)


お前は誰に対しても接し方が一緒。

普通人間なら相手によって変えるだろ!


と言われて、

誰にでも平等に接することの何が悪いんじゃと 

その時は意味がよくわかりませんでしたが


今ならわかります。

私、そこ欠落してる。


イギリスで本物の役者を見てから

感情ってこう伝えるんだ(O_O)

と初めて心で理解したように思います。


涙もろいですし、

映画などでも感動しいですし

理不尽には腹も立ちますし


自分に感情がないと思ったことはないのですが

取り繕わず人と接する

という方法がやっと最近わかってきたように思います。

幼少期に願った

「人間になりたい」

は演劇の世界にいなければ、

きっと叶っていません。


だからずっと演劇を続けているんだと思います。


と、ここまで書いてみて

こんなことに共感してくれる人がいるのか

と疑問を抱きながらずっと書いてますが


私は人間が好きなので

こんなロボットみたいな人間の思考を面白いと思って聞く人

私以外にいるのか?

と思うから需要がないと思うんですよね。


取り繕わずに

鈴木愛子を出してみて

どんなコミュニケーションが生まれるのか

実験していきたいので

思っていることを表に出す練習します。


ちなみにここまで書いて

私はめちゃくちゃ面白いです。

私はコミュニケーションの仕方に欠落がある

と言う長年の謎が解けそうだからです。


そして、

この取り繕いがなくなったら

人とどうコミュニケーションをとっていいかわからなくなってしまうことも知っています。


何を話していいかわからなくなるし

幼少期に変な子扱いされたことを思い出すのか

身体が震えたり、こわばったりします。


今日は原因がわかりましたので

これからここを解放する練習をしていこうと思います。


芝居でできたのは「台本」があったから。


これから仕事をしていく上で

パターンの中だけでは限界が来る。

もっと深い部分も使えるように

成長あるのみ。


また書きます。