輝きが見えるなら | ティロ・フィナーレ加川のブログ

ティロ・フィナーレ加川のブログ

ブログの説明を入力します。


どもっす!

先週の記事にも沢山のコメントありがとうございました!全て見させていただいてます!

さて日曜日しか更新をしないブログだったのですが昨日はエラーで更新できなかったので本日書かせてもらいます!

今日書こうと思うことは放送でも話したのですが偉人の話などを見て考える自分の考えです

さて、生主をやってる方々なら少し話はわかると思うのですが

凄いですね!とか才能が欲しい!とかってコメントを結構見かけたりしませんか?


僕はそのコメントを見るたびに思うわけです

凄いと感じる事ができるのに何故それを学ぶ事ができないのか


僕はいろんな人間を見て凄いと思う事はあっても才能が欲しいとは思いません

何故なら人間とは才能をいくつも持てると考えてないからです


自分が誇れる何かが無いのなら次に進む事はしたくない訳です


例えば、歌がうまくなりたいとすれば歌が自分で納得するまで練習する

きっと人の才能をうらやましがる人ってのは人の才能に憧れるだけで近づこうとしてないと思う訳です。

自分をうらやましいと思うよりも自分がいかにその人間の良い所だけを盗めるか


当然僕の良い所を見れる人は僕の悪い所も見てる訳ですからそれをはぶいた才能を見につけることができる訳です

要するに自分が沢山の人を見る事によって自分はその人たちよりも優れることができる訳です


自分の限界をやって欲しい

自分ができない事を無理に自分でする必要はないのです


絵がうまいとこんな事ができるのになあ、と思えば絵がうまい人にその企画に参加をしてもらえばいい


何かをしてる人間だけが優れてるとは限らないのだから

絵がうまくても沢山の人に見てもらえるアイデアが思い浮かばない人

歌がうまくても盛り上げる事ができない人


様々な足りない一面を持ってる人が多いのです

むしろ全員がそうだと言っても過言ではないでしょう


場面に合わせて自分の能力を生かせばいいのです

才能に憧れるのでは無く


この才能があればどうしたいのか、それを考える事が一番大事だと思います


偉そうに書いてますが実際自分ができてるかと言えばまだまだな所なんですけどね^^:


けども、人を羨ましいと心に貯めてモヤモヤする事だけはしないようにしてます

とにかく人の良い所を見つけられる事がまず才能


そしてそこからどこまで話を膨らませれるか それも才能です

もし、才能がわかって広がる話が思いつかないならきっと自分にとってその才能は羨ましい才能とは言えないと思います

人を見て輝きを感じるって事は、その輝きの使い道が見えてる人だけだと思います


それでは自分が見える才能を求めてこれからも日々お互い頑張っていきましょう


でわ、また来週