自由がスウィングする | 花師論

花師論

まるっきり今までの生活を捨てて、ひっそりと身を隠して起死回生をボ~っと見つめるただのおっさん。
世間では「報われない人」と笑われ、「前に出るな」と罵られながらも、いつも笑顔で暮らしている。
さてさて、この先どこまで行くのやら?

LIVEのステージはいつもアドリブで溢れている。

曲の練習は繰り返しするが、MCで喋る内容はその時の空気で瞬時に変える。

同じ話しなんて繰り返しても面白くはなく、緊張感を持てずに新鮮味に欠けるMCは決してやらない。

台本通りに、事前に考えたMCなんてやらない方がマシだ。

引退を発表した安室奈美恵は、ステージで喋らない。

100%のステージには、彼女なりの美学があり、割り出された答えがNo MCなのだと言う。

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客席もステージも生き物であり、その都度その都度の空気を読みながら、何が面白いか?を見極めて世界観を作り出す。

八百長と馬鹿にされらプロレスで見る技の応酬は、日々の練習で培った証明であり、互いに信頼した上での肉体のぶつかり合いがスウィングすると、観客はリングに釘付けとなる。

ブル中野は「プロレスはセックスだ」とインタビューで答えている。もしも自己満足のマスターベーションを見せられたら、観客はたまったもんじゃない。

観客とスウィングしてこそ、はじめておもしろいモノが生まれる。

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結成30年を越えるバンドではあるが、残念ながら無名の素人バンドでは、演奏そのもので唸らせるコトはなかなか難しい。

貴重な時間を割いて、お金を払って足を運んで下さるお客様に対して、知らない歌を聴かせるわけだから、演者は最低限のおもてなしとして、100%以上の何かを見せなくてはいけない。

いつも心掛けるのは、家路に帰る途中、LIVEを振り返り「おもしろかった」と笑ってもらうコトしかない。

音楽のジャンルはロックと胸を張ってやってきた33年だが、結成当時はロックはロックでも、破壊的なパンクのスピリッツであったと、過去を知る者は思い出しせせらて笑う。

MCはジャズのように流れに任せてスウィングさせながら、客席を見渡して暖めて行き、頃合いを見ながら歌をお届けする。

この形はバンドだけにあらず、普段の日常生活の中にも活かしており、その時その時の流れに任せて対応していかないと、客商売は務まらない。時間から時間のパートタイム的な働きをしていては、客目線で対応するコトは難しい。

もっと言えば監督としてもやり方は同じで、こちらの思う通りにいかないのが勝負事で、毎回毎回対戦相手も違うし、戦う場所も違う。試合を裁く審判も違えば、自チームの選手のモチベーションも何もかも、同じコトは1つもない。

子ども達が卒業すれば、違うメンバーで戦わなければならない。子どもに合わせてスタイルを変えていかないと、同じスタイルでは戦い続けるのは困難だ。

その時その時に対応出来ないと、目指す場所には辿りつくコトはおろか、何一つ前には進めない。

一言でロックと言っても、その中には細分化されており、自由の象徴とされるロックでさえ、自由を奪われ、不自由な生き方をせざるを得ない状況にだってなる。

いつもアンテナを張り巡らせて、瞬時に判断し対応出来る、ジャズのような自由がないと、美しいハーモニーは奏でられない。

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ダンスの世界であっても、今はヒッポホップが主流となっているが、元はと言えばジャズダンスからの流れを汲んでいるもので、自由に踊る為の基本が必要となってくる。

音楽もスポーツも、はたまた文楽や文芸の世界でも、長く生き続けるには自由にスウィング出来るジャズに限る。

と言っても、そんなに簡単に身につくものではなく、何にでも流れに身を任せていては忘れ去られる。

流れに逆らわず、時には頑なに我を通し、魂を揺さぶらせるモノを作り上げる事が、この世で生きる何よりの喜びであり、一度組立たものを自分自身でぶち壊し、その姿を客観的に見つめ、一歩下がってから景色を見直すことが出来た次の一歩、それが自由とい名のロックの一歩ではないか?