踏み出せ勇気、動かせ運 71 | 花師論

花師論

まるっきり今までの生活を捨てて、ひっそりと身を隠して起死回生をボ~っと見つめるただのおっさん。
世間では「報われない人」と笑われ、「前に出るな」と罵られながらも、いつも笑顔で暮らしている。
さてさて、この先どこまで行くのやら?

義理堅き男、後藤又兵衛


NHK大河ドラマ"真田丸"がいよいよクライマックスに突入した。

哀川翔演じる後藤又兵衛が登場し、いよいよ

江戸幕府と豊臣家最終決戦である、大坂夏の陣における"道明寺の戦い"が始まる。

豊臣方は大坂冬の陣の後、大坂城の堀を全て埋められてしまったため、夏の陣では城を出て戦わざるえない状況となり、徳川軍が攻め入る河内、大和、紀伊方面を迎え撃つために、後藤又兵衛ら前隊6,400人、毛利勝永、真田幸村ら後発隊12,000人が大坂城を出発した。河内国平野で宿営した後藤、毛利、真田らは道明寺村付近に集結し、迎えむ事を取り決めていたが、徳川軍がすでに国分村に展開している事を知り、一人石川を渡り小松山に登り陣を構えたが、伊達軍の鉄砲部隊の前に無残にも戦死してしまう


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黒田官兵衛に可愛がられた又兵衛は、官兵衛の喪が明けるのを待ち九州を後にする。

渡り渡って大阪城へ辿り着き、打倒徳川家康を目指す。

そこで真田幸村、毛利勝永、明石全登(あかしてるずみ)、長宗我部盛親らを「大坂城五人衆」と恐れられる。

義理堅い男 後藤又兵衛の人柄は、主君官兵衛の喪が明けるまで黒田家に使えた事が、人柄のよさと義理堅さが手に取ってわかる。

幼少時代に共に遊んだ盟友黒田長政とは、意見の食い違いで袂を分け、敵方として戦うことになるのだが、"猪武者"と馬鹿にされた長政では、義理堅い又兵衛とは意見が合わなかった事にうなづける。

道明寺の戦いで後藤又兵衛は享年56歳でこの世を去るが、最後まで漢気溢れる生き様を見せた事が、のちに大阪府柏原市の玉手町に記念碑が建てられ祀られている。


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人を大切にした主君 黒田官兵衛に育てられた事が、後に義理堅く生き続けた後藤基次の生き様となった事は言うまでもない。

大阪城に作った真田丸も、元はと言えば又兵衛のアイディアであるとい史実もあるとは聞くが、それは今となっては確認する事も出来ない。歴史の表舞台に現れたのはこの大坂の陣であり、この史実だけで片付けるには惜しい男である。

大坂の陣では真田と伊達が表舞台となり、クローズアップされるが、その影で光いぶし銀の輝きは眩し過ぎる。

黒田官兵衛に仕えた後藤基次の踏み出した勇気は、己の生き様を貫いた行動であった。

黒田官兵衛が、豊臣秀頼が信頼した男 後藤基次こと又兵衛。

哀川翔演じる又兵衛の生き様が見逃せない!


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