2012.5.21
金環日食一色で湧いた千載一遇の日
目から・・・・鱗が落ちた現象が起きた。
天文金環を見たことではない。
昨年の9月6日から、割り切れない想いが込み上げて
凍り付いていた 疲弊した
真ん中のココロがじわ^~~っと 溶けた感じ。
答えを求め続けた。(割り切れない気持ち悪さから)
納得できる「答え」で理解しようとした。
しかし・・・・・
胸がざわざわ・・・
苦しくて、苦しくて、
もがいて、足掻いて、焦って、
落ち込んで、堂々巡って
何もしたくなくなって、
生きていくことも面倒になり
「なぜ?」の連発。
今までの人生で体験したこともない、
初経験を味わうということ、
ココロの準備も予行演習もなかったため。
自分を納得させる「答え」や「教え」を模索した。
が、今までの「知識」には・・なかった。
他人にも求めた。
本にも求めた。
でも、気が晴れない。すっきりしない
それが、今日のこと
気になっていたニュースの番組
仏教のお坊さんでありながら、
独特の切り口と本音で話される
「恐山院代 」 南 直哉(じきだい)氏のビデオを見入ってしまった。
「死ぬことと 生きること」のテーマのお話
http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html
「やりすごす」
えっつ?!
自分の「答え」の引き出しは、
悲しい・寂しい・ココロが折れそう = ダメダメ!!
何とか立ち直らないと!!= 自分に負けている!!
負のスパイラルに嵌った・・・ これでは、いけない!!!!
「こんなはずじゃ~ない」「執着を持っていたら浮かばれない」
「すべては過去・・未来に生きるには”今”を生きよう」
前を見て動き出そう!
手放そう!! と厳しい鞭を打つ。
でも、本音は 「しんどい」 「がんばれない」 「無理」 ・・・etc
胸のざわざわと格闘するはめになり
自分を責めだす。
どんどん、自信を失くし・・・孤立する。
誰にも、理解してもらえない。
耐えられないから 理由を探そうとして責める答えを模索した。
ほどほどに(無理があるが)明るい 引きこもり をこの数か月味わい尽くした。
今日という日のパワーおかげなのか
偶然なのか わからない ケド
間違いなく、「特別な日」となった。
久々に じんわり 嬉しい。 じわ~~~っとアタタカイ。
安心。 穏やか。
「な~んだ!!」
今までの常識や教えには、出せなかった 「答え」
性急に答えを出さなくていい
悩んで、悲しんでいる 私って ダメだと思っていた。
何とか変わらないと!いけない!!!!
答えを出して納得させたい!!と足掻いていた。
この曖昧模糊な想いは、大切にしていけばいい。
感じていた「私」は素敵。
この感情は、
まとも! ふつう!
そのままでいいじゃん
ありがとう~~
愛してるよ 自分
ごめんね いじめて 攻めて 落ち込ませて
ゆるしてね。 心地よいこと、幸せに向かうよ。
茶番劇ならぬ、目から鱗が落ちた。 10ヶ月の貴重な体験である。