子連れ富士登山2011(6) 富士宮ルート 初剣が峰
山頂でのお昼ごはんは、ママが握ってくれたおにぎりです。美味しいね~

記念撮影をお願いしたのは山ガール4人組。
そう言えば、登り始めた頃も一緒だった。
次男が登りきった様子を見て、彼女らも喜んでいた。
「もちろん撮らせていただきます」とシャッターを押してくれた。ありがとう。
今までは山頂でのは、雨で極寒だったり、晴れても凍えるような寒さだったけど、今回はすごく暖かい!!
こんな快適な山頂は初めてです。
なので、剣が峰(3776m地点)まで登ってみることにした。
当然、次男は「えぇぇ、まだ登るのぉ・・・・」と渋い顔。

これが富士山の火口。

へたり込んだ次男を説得する兄

仕方なく歩き始める



そして、今までチャレンジする気にもなれなかった剣が峰に到着です。
日本でここより高い場所はありませ~ん!

いやぁ、富士登山5回目にして剣が峰まで登ってこれるとは感慨深いです。

山頂の空を青すぎました!!

剣が峰から頂上を見下ろす

さぁ、これから下山ルートへ

子連れ富士登山2011(5) 富士宮ルート 九合目~頂上
さぁ、ラストスパートというほど気合は入りませんが、山頂が見えてくると頑張れます。

休むたびに睡魔が襲ってくる。

10:45am 標高3250m
頂上まで標高差あと140m、九合五勺に到着だ!
酸素補給も大事です。

目指すはあの山頂

でも、ほんと疲れたよ~眠いよ~


あと200m。
きついけど頑張るぞ~

お兄ちゃんは一足先に山頂へ。

11:50am 標高3730m やっと山頂へ到着!やった~
次男をハグしたとき、思わず涙が出そうになった。
本当によくがんばったと思う。
ようやく次男にも笑顔が

子連れ富士登山2011(4) 富士宮ルート 元祖七号目~九合目
まだ半分も来ていません。先は長いぞ。



涙のその気持ちは・・・?


8:20am 標高3250m
なんとか八号目に到着

ここでの焼印が最初で最後。

よし、ここからまたがんばろう

気温もだいぶ低くなり、霧も出てきました。

長男は次男のペースでは遅いので先に行ってもらった。
で、山小屋の度に待っているので、その待ち時間のせいで睡魔が襲ってくる。
弟が登ってくるのをいつもこんな感じで待っていた。


9:40am 標高3460m 九号目に到着!
子連れ富士登山2011(3) 富士宮ルート 新七合目~元祖七号目

見事な雲海を眺めながら、元祖七合目を目指す

そろそろ辛くなってきたかな

休憩する回数も増えてきた。
歩くスピードもゆっくりと。



この辺りでもまだ高山植物に出会えます。


7:00am 標高3010m 元祖七合目に到着
ここまでいいペースで来ました。
しかし、次男はもう言葉を発しません。
ほとんど無口。
もちろん笑顔なし。

子連れ富士登山2011(2) 富士宮ルート 六合目~新七合目
東の空から少しづつ明るくなってくる

なるべく高い位置でご来光を拝みたいから、がんばって登り続ける。

富士山のこの陽が登り始める時間がいいんだよね~

がんばれ~

富士宮ルートは緑も多く、高山植物がよく見られる。
こういのってただただ岩道が続く景色よりはかなり癒される。

次男はマイカメラでパチリ


まだ、この頃は元気でした(笑)

おおっ、陽がでてきたぞ~



新七合目が見えてきた!

もう少しだ、がんばろう。

5:26am 標高2780m 新七合目に到着


天気がよくて良かった。
上りで雨が降ってたりしたら、かなりテンション下がります。

子連れ富士登山2011(1) 富士宮ルート 「日登り初挑戦」 五号目~六合目
今年で5度目の富士登山。
4年前に初めて挑戦した子連れ富士登山。
そのときは富士宮ルートで、初心者ゆえの無謀なスケジュールにより、途中で下山。
3年前は、須走ルートで山小屋1泊コースに初登頂に成功するも激しい雨と霧で登頂成功の余韻に浸る間もなく下山。
2年前は、再び富士宮ルートで山小屋1泊コースで2度目の登頂に成功するも、またもや激しい雨と霧、そして凍えるような寒さとの戦いで登頂を楽しむ余裕は全く無し。
昨年は、須走リートの山小屋1泊コース。初めて天候に恵まれ晴れた山頂を初体験。次男も初参加で見事に登頂!
そして今年は、富士登山にある4つのルート(吉田口、富士宮口、須走口、御殿場口)の内、3度目となる須走コース。そして、初挑戦の4年前以来の日登り(山小屋での宿泊なし)。
今年はいつもの登山仲間と予定が合わず、私と息子二人で登ることになった。
私、45才(男)→富士登山5回目長男、小6(男)→富士登山5回目次男、小2(男)→富士登山2回目 1週間くらい前に「山小屋に泊まらないよ」と次男に伝えると、ずっと「行きたくない」と渋い顔。それでもなんとか連れ出すことに。 なるべく前日に睡眠をたくさんとって夜中の出発に備えた。それでもなかなか寝付けるものでもない。睡眠不足がちょっと心配。
深夜0時30分に自宅を出発。
8月8日(月)
2:30am 標高2400m 富士スバルライン五合目の駐車場に到着。
気温は13度くらい。車でスバルラインを登る途中、道端で鹿が出迎えてくれました。
高山病予防のために、ここでゆっくり時間をつぶす。
空は晴れている。
満点の星空。
ずっと雨が降らないでいてくれと願う。
上りで雨が降っていたら、かなりテンション下がるからね。

4:00am 標高2400m 五合目から登山開始!


富士宮ルートの最初の30分はなだらかな坂。
この時間に登り始める人は少なくて、人もまばら。

4:15am 標高2490m
六合目に到着
ここまでは楽なんだよね(笑) 五合目から六合目まですごく短いし。

夏合宿
恒例のラグビーの合宿へ。
もちろん行き先はラグビータウン菅平大きな荷物を抱えて4日間の厳しい?合宿に向かう。

菅平は例年に比べて暑さも和らいだ気候で過ごしやすかった。
菅平といえばレタス!
グランドとレタス畑しかないのでは?と思うくらい、その両者が高原いっぱいに広がっている。

この合宿は初めての主任コーチとして参加だったので、自分にとっても意欲と責任をもって臨んだ。
茨城、千葉、石川、長野、東京、埼玉、群馬各県のチームと多くの試合をさせてもらった。
前半はこどもたちのパフォーマンスも悪く、コーチとしてもどう子どもたちの気持ちや技術を高めていけばよいか考える日々となった。
長男のタックルが高い・・・

5,6年生につきっきりだったので次男の試合はちらっとしか見れなかったけど、
相手チームの強さに苦戦してたみたいだね。


毎朝、6時に起きてゲレンデを裸足で登ります。
眠そうな子もいるけど、みんな5時には起きて騒いでました(笑)

ときにはこんな霧も

学年別相撲大会で1位になり商品をゲット!

終わってみれば、あっという間の4日間。嬉しいことがあった。
今まで行くのが嫌でずっと不参加だった合宿初参加の6年生の子がいた。
1、2日目はホームシックからか体調を崩し練習は見学。
3日目の試合でその子の人生初トライをきめたのだ今年は練習も皆勤で参加している。
練習の積み重ねが実を結んだ瞬間だった。
涙でそうになった。
それと、こどもたちの感想文。
ある三年生の子のタイトルが「ラグビーの夏のおとまりほいく」だと・・
ここは保育園か!?(笑)
子どもたちは、いろんな学年の子たちと寝食を共にして、仲間の絆が深まったり、
共同生活を通じて他人への思いやりなんかも少しは学んでくれればと思うのです。
その成果は秋の大会に繋がるはず。
そんな合宿中、かみさんは、慶應卒商社マンとテレビマンと合コン(バブル時代を思い出すシチュエーションだ)し、深夜にタクシー帰り
久しぶりの試合
なんか次男はものすごい久しぶりの試合かも 2年生チーム

FWやりました。ひとりスクラム

相手のタックルが上手で、なかなか思うように攻めることができない

次男の2トライのみで、大差で負けた。


ナイスタックル

もっと、もっと試合がしたい。

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そして6年生。 長男はなれないSHで出場 無難にこなしていたようだが・・

1トライを争う接戦

最後の5分が勝負だった。
これで勝てないのは何かが足りないということ。
練習積んでもっと強くなろう
物資支援報告(その2)
(続き・・・)
釜石港からさらに北に両石町という小さな漁港の町があります。
そこはさらに酷い状況で、町が無くなっていました。

ここにはたくさんの住居があったはずです。




ここも海から800mくらいの市街地。
どうしたら自動車や電柱がこんな形に曲がってしまうのでしょう・・・


どの写真も被災から1ヶ月経った町の姿です。
まだまだ復興への道のりは遠く長い。
ここで、やっと叔母とご対面!となるところでしたが、待ち合わせ場所に向かう途中で変な兄ちゃんに声を掛けられる。なんと神奈川新聞の記者でした。
どうやら叔母を取材しているらしく、神奈川から物資を届けに会いに来ること知り、(ラグビーっぽい)格好をしていた私に声をかけてきたのでした。
その方に叔母が待ってる場所に連れて行ってもらう。
やっと会えた。
「生きててくれてありがとう」
叔母は背を向け涙を流した。涙の再会だったのだが、その新聞記者そのシーンをカメラで撮ってるし・・・
まぁ、彼もお仕事だろうからいいんだけど。
避難所での生活や、釜石の状況のことたくさん話した。見た目は元気そうだけど、やはり精神的には参ってる。
当たり前だけど。 とにかく、生きててくれてありがとう。
みなさんからお預かりした物資は3箇所に届けました。
→口紅(80本)、ハンドクリーム(100個)、トマト(1箱)、缶詰(2箱)、調味料など(1箱)、
レトルトカレー(3箱)
前日にこちらの電話して必要な物の再度聞いてみたところ、そろそろ仕事に出る女性も多く、口紅やハンドクリームなど身だしなみとしての化粧用品の要望が多いとのことでした。
慌てて口紅を買いに量販店へ。というものの、どの口紅が良いかわかりません。
女性の店員さんに訳を話して(訳を話さないと変な人ですよね^^;)、無難な色合いの口紅を選びました。
人生で初めて口紅を買うことになるとは・・・しかも数十本も。
レジのバイトのお兄ちゃんが怪訝そうな顔を私を見ていた気がしないでもない
釜石といえばラグビー事前のアポもなく訪問しましたが、我々を温かく迎えてくれました。
→野菜ジュース(2箱)、ラグビーボール
釜石シーウェイブスは、サポート企業や多くのサポーターの被災で釜石シーウェイブスの運営が非常に困難となっております。
サポーターに入会して支援お願い致します。現在はHPからのみ受け付けしています。

→コミック(数箱)、児童書(1箱)、筆記用具(2箱)、ノート(1箱)、ランドセル、
子供用遊び具(1箱)、野菜ジュース(1箱)、玉ねぎ(1箱)、キャベツ(1箱)、
にんじん(1箱)、レタス(1箱)、缶詰(1箱) 残りの物資を個人物資支援受付へ。


ちょうど震災から1ヶ月後のこの日に釜石にいるのも不思議な感じでした。
2時46分。
雨の釜石にサイレンが鳴りみな黙祷。
釜石のみなさんは、強く笑顔で前を向いている。
黙祷の後、ベンチに座り1ヶ月前の津波の時の叔母のこと想像して涙が。
このポストは、次のような気持ちで書きました。
被災地の様子を見て感じたことは、これは”復興へ向けての支援のスタート”だということです。お預かりした物資を届けはしましたが、達成感は全くありません。被災地の復興にはまだまだ多くの支援と月日がかかると実感しました。支援の方法はいろいろあると思いますが、酒飲みは東北のお酒(釜石にも酒蔵があり「浜千鳥」というお酒があります)を大いに飲むのもよいでしょう。こどもたちは勉強やスポーツを一生懸命頑張り、将来の日本を支える力をつけましょう。今、関東近郊では計画停電も無くなり普段の生活に戻りつつありますが、被災地の復興への時計の針は、とてもゆっくり進んでます。 私達にとって大事なことは、今回の震災のことを忘れずに支援を続けていくことが必要なのではないかと思います。 なので今後このような支援をする方がもっと増えて欲しいことと、そういう方の何かの参考になればと思いここに記録しました。私も多くのブログや支援関連のサイトから情報を得て、この支援活動を行うきっかけとなり後押しをしてもらいました。ありがとうございました。
以上
物資支援報告(その1)
私自身の生まれ故郷でもあります釜石市への物資支援にご協力頂いた方、本当にありがとうございました。
その中にはたまたまこのブログを読んで物資を送ってくださった方もおりました。
日にちが限られた中、急いで送ってくださってりして・・心より感謝申し上げます。
ラグビースクールの仲間にも声をかけ、多くの物資が集まりました。












釜石の避難所にいる叔母には、従兄弟が携帯電話を送ったので連絡がとりやすくなり、向こうの状況をいろいろ聞く事もできました。
叔母は「まだ時期が早いから来るな」と言い続けてましたが、今何かしなくてはという思いが抑えきれず釜石へ行くことを決めました。
スクールのコーチが同行してくれたので、二人で交代で運転しながら東北道を北上。
日曜日の夜とあって交通量も少なく、順調に車を走らせる。
しかし、木曜日の大きな余震のせいか、東北道の車道には所々にヒビがあり、段差も多く、宮川大輔もびっくりの"チンさむロード"(わかる人だけわかってください)の連続です。
ずっとNHKのローカル局のラジオを聞いていましたが、何度も地震速報が流れました。
被災地では余震が続いているのを実感。
途中の2時間の仮眠を含めて、ちょうど12時間後の朝9時半に釜石到着。
東北道のPAに掲げられてたポスター

市内に入り車から見える景色は、普段と変わらないものでした。
コンビニもスーパーもガソリンスタンド(一部、休業中)も普通に営業してます。
違うのは小学校の校庭に自衛隊の車両が並んでいることくらい。
もちろん、その辺りも今でもガスが止まっている地域もあり、不自由な生活を強いられています。
しかし、JR釜石駅を過ぎると景色は一変します。
折れ曲がった信号
道路の脇に積まれた瓦礫の山
ガラスが割れ店内には壊れた自動車が突っ込んだままの店舗
・・・

報道の写真で目にしていた光景ではありましたが、やはり目の前の悲惨な光景には言葉がありません。
道路の通行をスムーズにするために瓦礫を道路脇の寄せただけで、瓦礫の撤去や整理はこれからという感じです。そんな生活の中で、自衛隊による瓦礫撤去や炊き出し・お風呂の提供、また赤十字のよる医療支援には本当に助かってると言ってました。

叔母2人でやっていた居酒屋兼自宅の前に向かう。
地震直後に公開された航空写真を見て、わかっていはいたが・・・ 震災前はこんな感じだった。


しかし津波により・・・・

2階へあがる階段だけ残して、無残にも家は崩壊していた。
ここのある瓦礫はおばの家のものではなく、他から流れてきたもの。
お店の帳簿や貯金通帳なども瓦礫の山に紛れこんでる。
そういった物は道の端にそっと移動しておいた。
瓦礫の近づくと釘が出たままの板があったり、割れたガラスがあったりしてとても危険。
たくさんの救助犬が包帯をしながら活動をしているというニュースを見た。

叔母が避難した向かいの3階建てのビル。
寒い中、ここで一人助けを待ちつつ夜を明かしたそうです。

電信柱もこのように津波の力の前にはひとたまりもありません。

どなたのスリッパなんでしょう。持ち主は無事だったでしょうか。


(続く・・・)