『自分の感受性くらい』 茨木のり子




ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて


気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな しなやかさを失ったのはどちらなのか


苛立つのを 近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし


初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった


駄目なことの一切を 時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄


自分の感受性くらい
自分で守れ ばかものよ













こっから追記


人のせいにして
会社のせいにして
国のせいにして
時代のせいにして

自分は悪くなくて
自分は可哀想で
自分は被害者で


…ってことにしてる方が楽だとおれも思ってたんよ。
圧倒的勘違いやったけどね。






「自分」以外は全てコントロール出来ないんだから、
「自分以外のせい」で自分がイケてないことにしとけば、
「おれがイケてねーのは、おれのせいじゃねーからな!!!」って言える!みたいな(笑)





いま考えたら意味不明ですけど、
バカにされないか不安で、評価されるのが怖くて、ブッ飛ばしたい上司や先輩がいっぱいいるような時って、そんな心理状態だよ。










でも違うんだよー。

逆だ。

この詩は「逆だよ」って教えてくれる。



「人のせいにしてんじゃねーよバカヤロー」っていう詩じゃなくて


希望の詩だ。







あなたが素晴らしいという事実を


他人や親や制度や時代が


邪魔することなんか出来ない


ってことを言ってる。





ぼくたちはいつも忘れてしまったり
勘違いしてしまったりするから
「ばかもの!」 つって教えてくれる。






ぼくらはいつでも

自分次第で自由自在だ。