ハナのホ・オポノポノ日記

ハナのホ・オポノポノ日記

ほんとうの自分にもどりたい
そんなときに出会ったホ・オポノポノ
日々のぽのぽのをつづっています

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このところ精神的に限界のところを行ったり来たりしている状態です。育児疲れかなと思っていましたが、過去の記事を読んでみると出産前からもどんよりした気持ちがあったみたいで、育児のせいだけじゃないのかもしれないな…と思いました。

自分が思っていたような親になれないこと、子供に当たってしまうような最低なことをしていること、ここから逃げ出したいと思ってしまうこと。
こんなはずじゃなかったのに…と苦しい気持ちでいっぱいです。

自分を責める気持ちはありながら、行動は変えられない、イライラするのを止められない。いろんな方法を試してみても、一向によくならない。

でも…ホ・オポノポノはちゃんとはできていませんでした。
やってみようと何度も思って始めるのですが、日々の生活がめまぐるしすぎて、ホ・オポノポノをする暇もなく過ぎていき、夜にはぼーっとスマホやテレビを見るだけの気力しか残っていないのです。
でも私はやっぱりこれしかないのじゃないかなと思っているんです。怖くて向き合いたくないけど、すべての責任は自分にあることを受け入れて、クリーニングしていくこと。私のせい、ということではなくて、もとにある傷んだ記憶は、私の過去、もしくは集合意識の過去にあって、私にはその記憶をクリーニングすることができる、と信じること。

今ある現実、問題は、私のウニヒピリが、これをクリーニングしようよ、と見せてくれていること。

今つらいのは、子供に感情的にイライラをぶつけてしまうこと、育児がそれほど辛いこと、当たってしまう自分が情けないことです。大好きな子供なのに、自分の感情を抑えられないのです。
ウニヒピリに話しかけながら、どんな辛い気持ちを感じているのかな?どんな記憶をクリーニングしようとしているのかな?とポノポノしてみました。

すると、自分が子供に怒った場面で、昔父に言われたことを思い出しました。私は同じようなことを子供に言っている…。父のことを横暴だとずっと感じていたけど、私と父の似たところ、それがそういう形での感情を爆発させてしまうことにつながっているのかな…なんて思い至りました。
そんなことを考えながらポノポノしていると気持ちが静まってきました。クリーニングができたみたいです。

こうやって少しずつでいいから、毎日あきらめずにクリーニングしていきたいです。

ありがとう。あいしてます。


今、凪のお暇っていう電子書籍を読んでます。
それを読みながら私も色々と考えるところがありました。自分の醜いところについて。。

私はもともと人が好きでポジティブな見方をする方です。うがった見方をすることはあんまりなくて、みんなそれぞれ事情があるんだなって捉えることが多いです。

でも、私はプライドがとても高い。

だから、自分から遊びに誘えない。もし迷惑だと思われたら?遊んでみて、楽しくないな時間の無駄だったなって思われたら?そんな惨めな思いしたくない。
だからいつもできるだけ相手を煩わせたくないと思ってる。
それは優しいからじゃなくて、ただ自分が煩わしい存在になりたくないから。

特に仲のいい友達ができても、特別な存在にはしないで、どこか一線を引いてしまう。こちらが特別に思っても、向こうがそうじゃなかったら?そんなの恥ずかしい。それだったら、別に誰が一番仲のいい友達とかないほうがいい。

人を頼れないのも、なんでも冗談にしてしまうのも、親友を作れないのも、自分をさらけだして傷つきたくないから。
私は臆病だ。

私は自分はなんでもできる、助けなんていらない、と思って生きてきた。
誰かに助けてもらうことがあっても、助けてもらえなければそれはそれで、別の方法でなんとかしてたし、ってどこかで思ってる。心から感謝ができない。
私は傲慢だ。

私の好きなスピリチュアルブログのぐるぐるさんの著書、「地球ミッション」をAmazonのkindleで買って今読み進めているところなのですが、さっそく今の苦しい状況を打開できそうなヒントがありました。

本の中の例えは、結婚に関してで、結婚しているのもいいし、結婚してないのもいい、どちらも違った楽しさ、良さがあって、どちらかにこだわるから葛藤が生まれる…みたいな内容でした。(大ざっぱですみません)

今の私の苦しいことは、2人の小さな子供の子育てです。具体的には、自分の時間もほぼない、上の子のイヤイヤ期で何をするにも嫌がられ交渉しないとこちらが何もできない、すぐに泣きわめかれる、上の子に手がかかりすぎて下の子を構ってあげられない、などです。

なるべく気持ちに寄り添える優しいお母さんでいたいけど、余裕がなくてすぐに怒ったり、楽しく遊んでやれないことにあとで罪悪感。

それでもいっぱいいっぱいな毎日をなんとかこなしているけれど、精神がだんだん疲弊してきたと感じるこの頃です。


本で読んだ、どちらかがいいというこだわりをなくしていく、というのをどうやったらあてはめられるかな?と考えてみました。

私が今イライラするのは、子供が素直に言うこと聞いてくれたら楽なのに、いちいち嫌がってめんどうくさい、自分の時間もエネルギーも吸い取られる。常に常に私にまとわりついて、もうほっといてほしい。ということです。

ここで私が心底嫌だと思っている「自分の時間もスペースもエネルギーもすべて奪われてなくなる状態」のよさも見つけて、どちらだけがいいというわけじゃないと思えればいいのですが…。

難しそうですがこんな風に考えてみました。

『ここまで自分を削って誰かのために何かをしたことは、きっとこれまでなかった。今私は貴重な体験をしているのかもしれない。今は辛く思えても、後になってみればかけがえのないキラキラ輝く宝物みたいな時間なのかもしれない。今、私の大事な時間を奪わないで!って怒っているけれど、20年30年経ってみれば、その怒っていた時間こそ、泣かれてイライラした時間こそ、まとわりつかれていた時間こそ、涙がでるほど懐かしい私の大事な時間なのかもしれない。夜みんなが寝静まってからのわずかな時間だけが私の意味のある時間だって、今は思えてしまうけど。』

なんだか書いていたら、本当にそうなのかもと思えてきました。
どちらの時間も私の大事な意味ある時間なんだな、と思えることが、中立の立場に立つということでしょうか。


ありがとう・あいしてます
私の大好きなスピリチュアルブログのスピリチュアル・エレガンスの昔の記事を読み返していて、こんな記事を発見しました。


自分の中の観念に気づくために、心が揺れ動いたこと、ざわついたこと、モヤモヤしたことにまず注目すること、だそうです。

ネガティブな気持ちがわきあがると、それをスッキリさせたくてつい人に愚痴ったり、自分がそう感じるのは正しいと理論武装をしたり、ネガティブを打ち消そうとしてみたりします。
でもそこから逃げずにそのモヤモヤと向き合うこと。せっかく自分の中にある不要になった観念に気づくために起きた出来事なんです。

ここ最近の私はモヤモヤすることがあれば、すべて外側のせいにしていました。
内側を見ることなんてすっかり忘れていました。

どんなことに心が揺れ動いたのか、これからブログに記していこうと思います。


今日モヤモヤしたことは・・・

友達がSNSに自分の子供の写真をドキュメンタリーのようにアップしていたこと。
(そんな状況で写真撮るなんて非常識では?誰もそんなの知りたくないし。そうまでして注目されたいのかな?自分の子供だからって何でもかんでもSNSにさらしてかわいそうじゃないの?自分は知り合いの子供投稿にイライラしていたくせに。)というのが私の心の声です。

でも私の心が揺れたということは、私の中に何か浄化されたい記憶や観念があるから。もしくは自分の中に同じ要素があるから。
どんな観念があるかな?というと…。

目立ちたくないけど、本当は注目されたい。
私のことなんて、誰も興味がない。
あの子より私の方が好かれるべき。
人にされて嫌なことを、自分は人にしている。(例えば旦那に対して自分勝手な振る舞いをしたり)


こう一つずつ気づいていくと、あんなにモヤモヤ・イライラしていたのが少しマシになっています。
自分にもそういうところがある、自分の中の思い込みがこの反応を作っていると気づくと、その人自体に問題があったからではないんだって気がしてくるからです。


昨日から実は始めてたんですが、今日はいつもよりも素敵な出来事が多かったです。
こうやって内側を見ていくと自分の心のお掃除ができるのかな、それでいいことが起こるのかな、なんて思います♥️


浮き沈みはありつつも最近はわりと穏やかに過ごしていたと思ってたのですが、でもやっぱり職場でのイライラ、怒りがすごいです。

なぜか分からないけど、職場のみんなのことが大嫌い。みんな自分勝手で、私もどうでもいいと思われてるか避けられてるか嫌われてる、と思っています。

 

ネガティブなことばかり考えていると、顔つきもこわくなってくる、と読んだので、もしかしてだから私は嫌われてるのかなぁと思い、なんとか優しい気持ちになれるよう、いつもお世話になってる、スピリチュアルエレガンスのブログをのぞいてきました。

 

https://ameblo.jp/lib-yottsu/entry-12306740697.html

 

そしたらそこに書いてあったことに胸を打たれました。

引用させていただくと、

 

あなたの思いは、誰の負担にもならないし、迷惑にもならない、言って無駄なことなんてこの世にないのです。

自分のことを話すことは、自分を主人公にすること。

 

と、ありました。

 

私は昔から自分の話を人にするのが苦手でした。誰も私のことに興味がないのに、無駄話を聞かせて迷惑に思われるのは嫌だといつも感じていました。だから自分のことを話す状況になると、緊張したり、あせって早くまとめようとしたり、変に照れたりしてしまいます。

 

まさしく、自分の話をすることは、人に負担をかけることだと思っていたのです。

だって誰も私のことに興味がないのに…。

私はいつも、空気のような存在でいたい、人から、私と接するのは楽だと思われたいと願っていたようです。

 

小さい頃から、聞き分けのよい子、迷惑をかけない子でありたいと思っていました。父が気分屋のため、母がいつも気を使って神経をはりつめているのを見ていました。そして私には妹がいました。私だけは母の負担になりたくない。扱いの楽な子でいたい。そう思っていました。

 

もちろん家では自分のこともたくさん話していたし、それが母や妹の負担になるとは感じていませんでした。でも、人に負担をかけたくないというのは私の性格の奥深くに根付いていたのかもしれません。

だから少しでも他人が興味なさそうだったり、ポジティブな反応が返ってこないと、あ、やめよう、と思います。

 

職場では友達関係よりもそれが顕著で、役に立ちたい、負担になりたくない、有能だと思ってもらいたい、という気持ちが強すぎて、そればかり考え、自分のことを伝えることはまったくといっていいほどしていません。

 

また引用させていただくと、

 

思いを封じ込めて、相手のことばかり気にかけていると、自分の中が空っぽになっていきます。

 

と、よっつさんは書かれていました。

これがまさしく今の私の状況なのかなと思います。

 

そして自分の中が空っぽになって、どこにも居場所がなくなって、周りの人も自分のことを伝えない私のことが分からずに戸惑っているのかもしれません。

 

でも、自分のことを伝えるってどうしたらいいのでしょう。

自分を主人公にするにはどうすればいいのでしょう。

こんな私じゃ恥ずかしい。誰にも認めてもらえないし、興味も持ってもらえないって感じているのに…。