三湖伝説2 「辰子伝説」と、母の愛 | 花緒no心理学ブログ

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ものの見方転換アドバイザー、心理カウンセラー花緒の、昔話分析
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こんにちは!ものの見方転換アドバイザー・花緒です!
今日もご覧くださいまして、ありがとうございます(*^^*)
 
今日は東北、青森県と秋田県にまたがる「十和田湖」に伝わる伝説「三湖伝説」の第2弾、田沢湖に伝わる「辰子伝説」をご紹介します。
 
(第1弾「八郎太郎」の伝説についてはこちら! https://ameblo.jp/hanaoplanning/entry-12464699983.html )
 
田沢湖は秋田県仙北氏にある淡水湖で、その美しさは日本百景にも選ばれているほど。日本一深い湖とされ、その深さゆえ、太陽光の差し込みによって色がひすい色から藍色まで変わるといわれます。
 
わたしもだいぶ昔になっちゃいましたが田沢湖に行ったことがあります。湖面はとても穏やかで、傍らに辰子の像が立っており、当時は辰子の伝説なんてまったく知らなかったのですが、その像の悲しげなたたずまいがなんとも印象に残っています。
 

ざっくりストーリー
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昔、田沢湖のそばにある神成村というところに、辰子という名の娘が住んでいました。たいそう美しい娘でしたが、辰子はある日、ふと ある不安に駆られます。
 
わたしはとても美しい。

でも徐々に年を取っていき、この美貌は衰えていくのだ・・・。
 
一度そう思い始めると、彼女の中でその不安は日々、増していくばかり。不安にさいなまれるようになりました。
 
そこで辰子は、観音様にすがることにしました。村のうしろにそびえる院内岳にある神社にお百度参りをすることにしたのです。
 
辰子は永遠の若さと美しさを願ったのです。
 
観音様は辰子の必死の願いを聞き入れ、あるお告げを授けました。山のずっと奥に泉があるから、そこの水を飲みなさい、と。
 
辰子は山に分け入り、ようやく泉を見つけました。そしてその水を一口飲むと・・・なぜか逆に猛烈な喉の渇きを覚えました。たまらず泉の水をゴクゴクと飲んだのですが、いくら飲んでも喉の渇きは一向に収まらず・・・いつしか、辰子の姿は龍に変わってしまいました。
 
辰子は自分勝手な願いをした報いだと悟り、田沢湖に住まうようになったのです。
 
ちなみにこの田沢湖に生息するクニマスは、帰らない辰子の身を案じた母が辰子と再会してその身の上を悲しみ、湖に投げた一本の松明が魚に姿を変えたといわれています。そして、田沢湖はどれほど寒くても凍らない湖になったということです。

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田沢湖は実際に凍らない湖だそうですが、それは深いが故だそうです。

第一弾でご紹介した八郎太郎と、驚くほど似ています。というかそのまんま。
 
辰子に関しては出生の秘密のようなものは出てきませんでしたが、絶世の美女ということで、もしかすると八郎太郎と同じように人間と龍のハーフだったのかもしれません。
 
八郎太郎は仲間の分のイワナを食べた報いで、龍になりました。

辰子は己の美しさと若さが永遠に続くことを願った報いで、龍になりました。
 
 
なんだかとても理不尽じゃないですか?(苦笑)
 

八郎太郎ははっきりしたキッカケがありましたけれど、辰子はただ願っただけなのに。そして観音様の指示で泉の水を飲んだのに、まさか観音様に騙される(?)とは・・・。
 
 
そりゃあ辰子像も、もの悲しいわけですよねぇ。
 

人の世には、どうしてもあらがえない決まりがあります。
 
それは、どんな人であっても、いつか必ず「死」が訪れるということ。
 
人間は昔から、この絶対的な掟にあらがおうとしてきました。医学の発展は、まさしく死に対する抵抗ですし、美容整形も老いに対する抵抗という一面があります。実際に体にメスを入れ、強制的に死や老いに抵抗するという意味では、現代医学のほうが辰子に比べて何千倍も罪が重いのかもしれませんね。
 
辰子が願ったことは、人間としてまっとうな、至極自然な願いともいえるのです。
 
 
では、辰子が願ったことと、人が願うことのどこに、彼女を龍に変えるまでに大きい「違い」があったのでしょうか?
 
わたしたち普通の人間は、どんなに願っていることだったとしても、人の力でどうこうできることとできないことがあると知っています。死にたくない、老いたくないと思ったとしても、それは不可能であることを知っています。
 
ですが辰子は、その願いを叶えようとお百度参りまでしました。
 
八郎太郎についての分析のときに、彼がイワナを食べたことが「人間として生きるうえでの掟を破ったことの象徴」だったというお話をしましたが、もし辰子も同じだったとしたら、彼女の中のその「象徴」となる出来事は、このお百度参りだったのかもしれません。人の力を超える何か大きな力を、彼女は心から望んだのでしょう。
 

辰子もまた、思春期真っただ中だったのかもしれませんね。

それとも龍という生き物は、思春期を迎え、大人になると、本物の龍として目覚めるのでしょうか。なんだかそれはそれでロマンだなあ(笑)

そして、わたしはこのお話の最後に添えられた、辰子のお母さんのエピソードがとても好きです。
 
もし辰子が本当に龍とのハーフだったとしたら、そのことを知るのはこのお母さんだけだったはずです。だから、「辰子」という名前を付けた。
お母さんが、いずれこういう形で辰子が龍に変わってしまうことを予想していたのだとしたら・・・辰子を育てる間、どれほど悩み苦しんだでしょうか。
 
そしてとうとうその日がやってきた。お母さんは、いきなり龍に変わってしまった娘がさみしい思いをしないように、そして冷たい湖で凍えないようにと、願いを込めて松明を放ったのかもしれません。観音様はそのお母さんの愛を、魚に変えた。
 

最近特に幼児虐待や子供が通り魔にあって殺害されるという、悲しくやりきれないニュースが多く報道されています。

逮捕される犯人は、子供のころに両親(特に母親)の愛情を受けられずに育ったケースが多いですよね。大きな愛情を受けて育っていたら、彼らもモンスターに変わらずに済んだかもしれない。龍神に変わった辰子のように、人に受け入れられ、人の役に立てる存在になれたかもしれません。
 
辰子のお母さんの愛があったからこそ、辰子は荒ぶることなく、龍としての第二の人生を受け入れられたのかもしれませんね。
 
心理学を学んでいると、小さいころのほんの小さな心の傷を、大人になってからも長く引きずってしまうのだということがよく理解できます。血なんかつながっていなくても、深い愛をもって接してもらった子供は、強くなれる。
 
辰子の伝説は、そこが「芯」だったのかもしれません。
 

さて。
 
 
辰子は、こののち、八郎太郎と出会うこととなります。

似た運命を背負ったふたりは一体どうなってしまうのか?!
 
第3弾で書きますので、お楽しみに♪
(なんだか連ドラみたいになってきちゃったw)