久々の更新ですね。ブログに来てくださりありがとうございます。


思想とか、信仰とかとは少し違う、家族のエピソードです。

おじさん(父の兄)は、スリランカとか、その辺の地域で地雷撤去の仕事をしていました。因みに、統一教会とは無関係です。

年に1,2回日本に帰ってきては、私達兄弟に、クリスタルの原石とか、ジャグリングの道具とか、独特なセンスのお土産をくれていました。

小学生の頃、現地で使われているバッグをもらいました。小学生の頃の私にはそのセンスが到底理解できるわけもなく、押し入れに押し込んでいました。

最近エスニック系のワンピースを買って、奇跡的にそのことを思い出し、奇跡的に捨てずに残っておりましたので、引っ張り出してきました。

うん。こういうのが似合う年齢になったのだなぁと、ちょっと複雑な気分になりましたね。

そのバッグを通して、思い出したことがありました。父と母は、おじさんのことを良いようには言っていませんでした。実家に帰らず、家庭ももたず、ばあちゃんを心配させて、好き勝手に生きている人、そういう評価でした。

幼かった私は、

「世界で誰もやりたがらない命に関わる仕事をしているのだから、いいことじゃないの?」

と思いながらも、父と母がそう言うのだから、きっとそうなのだろうと、父と母の言葉を受け入れていました。

だからばあちゃんが心配になり、

「ばあちゃんはおっちゃんが危ない仕事をしていて、帰ってきてほしいと思わないの?」

と、ばあちゃんに聞きました。ばあちゃんは、

「そりゃ心配だけど、本人がやりたいってんだからしょうがないよね」

と答えました。

それを父と母に話すと、

「ばあちゃんは自分の子どもに無関心だから」

という回答が帰ってきました。

父と母がそういうのだから、きっとそうなのだろうと、当時の私は思っていました。


自分が好きな仕事をするようになり、仕事のなかで、子どもの自立について考えるようになり、私は、あの時のばあちゃんの言葉の真意が、当時捉えてたものと全く違ったものに感じられるのです。

ばあちゃんは、本当に心配だったと思う。帰ってきてほしいと心から思っていたと思う。それでも、おっちゃんの意志を尊重して、おっちゃんに対して何も言わなかったのは、ばあちゃんの、母としての、最大限の愛情表現だったと思うのです。


愛することも難しいけれど、愛を受けとることもまた、難しいことなのかもしれない。

そんなことを、どこぞの民族が使っているようなバッグを見ながら考えていました。


ここまで読んでくださりありがとうございます。